私的備忘録でもあります
安土城に先駆けてつくられたと思われる信長時代の天守石垣が,金華山山頂付近で発掘され18日まで一般公開中とのこと.
最近天気はあまり良くないが,今日がその中でも多分最良と金華山へ.

半曇りながら,伊吹山,能郷白山,御嶽山,乗鞍岳や中央アルプス・南アルプスを望むことはでき,また雲海に浮かぶ幻想的な風景も楽しむことができた.その様子はこちら

今回は欲張りな目的でそのほかに,
1.歩いて金華山登山
2.尾根づたいを南に辿り,昔プラネタリウムがあった水道山経由で下山
3.水道山にあったロマンスリフトの跡を探す
4.岐阜市歴史博物館の「麒麟がくる」大河ドラマ館を訪れる

金華山:上りは「めい想の小径」,下りは「七曲がり登山道」の実歩行約7 km.金華山は全山チャート.特に「めい想の小径」は全ルートがチャートの露岩で,足下を気をつけねばならず,めい想どころではない.

ロマンスリフト:廃止されてすでに35年以上.ほとんどが林に戻りその跡を探すのは難しい.諦めかけていた頃,登山道から分岐するなんとなく怪しい踏み分け道を見つけて,それを辿ってリフトの支柱を発見.近くには,枯れ葉に半分埋もれて,「岐阜プラネタリウム(株)建設昭和48年3月」と書かれたプレートが落ちていた.

大河ドラマ館:岐阜市は明智光秀とそんなに繋がりはないので,斎藤道三,織田信長,濃姫繋がりの展示.近いうちに美濃国可児市明智と恵那市明知も訪れてみよう.(23300)
名古屋城で現存する3隅櫓,東南隅櫓(辰巳櫓),北西隅櫓(戌亥櫓・清州櫓),西南隅櫓(未申櫓).
それらが同時公開中と聞いて訪れた.こちらをご覧下さい.
東南隅櫓からは普段見ることができないアングルで,青空を背景に天守,小天守と本丸御殿をパチリ.満足.
お堀に映る北西隅櫓も気に入っています.
天守を背景にした西南隅櫓も見応えがあります.(17000)

仮想「西国三十三ヵ所」の巡礼は,粉河寺に参拝.
今年初めての知多西国三十三観音の巡礼.

前回のゴールJR東浦駅を出発して,第三十一番板嶺山安楽寺→第三十三番樫木山観音寺→第三十二番開運山光照寺→JR武豊駅まで.

光照寺さんから南へ師崎(もろざき)まで,しばらくお寺の間隔が長くなる.次回歩く距離を少しでも短くするために,ゴールを当初予定していたJR東成岩(ひがしならわ:難読駅名)駅からJR武豊(たけとよ)駅まで延ばした.そのうえ,安楽寺さんと観音寺さんは他のお寺と異なり,知多半島の内側の丘陵地にあるため,なだらかな坂道を上ったり下ったりで,筋肉疲労というか筋肉痛.ただ,ありがたいことに時々痛みが出る右膝はおとなしくしてくれていた.(36100)




正月3日
今年の初散歩は,子年に関係した所を訪れるため北区界隈の5.8 km.

・久国寺:大名古屋十二支の子年の札所.岡本太郎氏作『歓喜の鐘」でも知られている.
・山田天満宮:境内にある金(こがね)神社は金ねずみの絵馬が有名.こちらは,すごい人出でした.

途中に,尼ヶ坂と坊ヶ坂の横を通る(子年とは関係ありません).

この他に子年とは関係ない目的が二つあったのですが,山田天満宮で時間がかかったことや,中央線のダイヤが乱れていて1本/時間の電車に間に合わなかったため,また今度.
あまり欲張ったスケジュールをたてた散歩をしないようにとの戒めでしょうか.胆に銘じます.(12500)

仮想「西国三十三ヵ所」の巡礼は,紀三井寺に参拝.青岸渡寺からの210.3 kmは遠かった.

伊勢湾の東,知多半島にはいくつもの巡礼道があります.
その中で最も古く今年開創250年を迎えた,知多西国三十三観音の巡礼に出かけました.

第二十七番海雲山普門寺で納経帳をいただき→第二十八番萬年山常福寺→第二十九番上世山傳宗院→第三十番福聚山観音寺と巡りました.

これでなんとなくペースがつかめた感じ.

お経をあげ御朱印をいただいたり写真を撮ったりしていると,日帰りだと長くて20km,多くて5寺にお参りするのが目標となりそう.(31800)

息子家族が,近くに来たからと顔を出してくれたので,一緒に昼食.
彼らが帰った後,新しいカメラの試し撮りと定点撮影を兼ねて猪高緑地散歩.

久しぶりに尾根沿いを歩いた.
このコースの南側入り口近くにある親鸞山は標高は111mで,名古屋市内で2番目に高い山頂.ただ,尾根の一部であり麓の標高が70〜80m あるため,山に登ったという気持ちにはなりにくい.

ズーム撮影の対象は,瀬戸デジタルタワー(直線距離で約5.7km).順に 24mm, 840mm, デジタルズーム4倍(3360mm相当).
デジタルズームを使うと,私の腕では手持ちで画面にきちんとおさめることは難しい.
御嶽山もかすんで見えた.これから空気が澄むようになると,綺麗に写せると思う.
井堀の下池は,新しい散策路ができて,これまでとは違う表情を見せてくれた(10200)


今日は,先週に引き続き堀川散歩

現在の朝日橋(かつての堀川堀留)から河口までの13.3 km.最寄りの駅までの距離を合わせると16.0 km.いわゆる江戸時代に掘削された部分.今回も綺麗な夕暮れにであうことができた.
開削当時にかけられた橋は,堀川七橋と呼ばれている.写真はこちら

そのひとつ,五条橋は,清州越しの際に移築されたもので,擬宝珠には堀川開削(慶長15年 1610年)よりも古い慶長七年壬刀六月吉日の銘が.レプリカの擬宝珠には1948年のいたずら書き.渡ると閉店した勝利亭が.ここのミヤビヤ以前食べることができてよかった.

納屋橋(たもとで創業したのが納屋橋まんじゅう)の下流.今年も四季桜が綺麗に咲いていた.写真を撮っていた女性から彩雲が見えますよと教えてもらった.写真を撮ろうとしたが淡くなって消えた.

水上の貴婦人 重松閘門:かつて堀川と中川運河を結んでいた遺構.何度見ても素晴らしい.新幹線の車窓から写真を撮ろうとしているが,未だ成功していない.

今回の散歩の下調べで,白鳥橋下流の千年プロムナードに熱田大空襲の跡を残す旧護岸と鉄柱があることを知って訪ねた.合掌
名古屋市内の空襲跡を訪ねてみたい.

堀川と新堀川の合流点に,東海道宮の渡しがあったことを知った.ここから,河口まで堀川沿いだと4 km弱.当時はかなり海岸線が内側に入り込んでいたんだと.(27900)
好来系ラーメンめんきちを訪ねた帰り,大学に顔を出そうかとギリギリまで迷っていたけれど,結局JR新守山で下車し,庄内川の堤防に出て,堀川上流部(黒川)沿いを散歩.今日の撮影のテーマは,ほぼ「川面に映る」です.

元々の堀川は,江戸時代初期の名古屋開府の際に開削された,伊勢湾から名古屋城付近(現在の朝日橋)までであったが,明治時代に庄内川から取水するようになり北に延びた.公式の延長は16.2 km.

結局,庄内用水頭首工でせき止められた水を取り入れる庄内用水元杁樋門(最上流部)→矢田川の下をトンネルでくぐる部分→庄内用水と分岐→黒川樋門→猿投橋→朝日橋までの9.0 km(総歩行距離は,16.9 km)と,気まぐれ散歩にしては長い道のりになってしまった.すなわち,今日は明治時代に造られた部分を辿ったことに.

堀川の流れは,猿投橋(河口から13.6 km)を境に大きく変わる.
この橋の下が落差工となっているため,ここまでは海の影響を受ける感潮区間.そのためか,ここより下流は水がなんとなく澱んでいる.一方,これより上流は澄んだ水が流れている.町の雰囲気もこのあたりでがらりと変わる.河は面白い.(29900)
千種区の猫ヶ洞池を水源として,昭和区,瑞穂区そして南区を流れ,港区で名古屋港(伊勢湾)に流入する山崎川沿いの散歩

  公式には延長13.61 kmの河川.これなら楽勝.
しかし,途中で広い道路や線路などを横切るため,かなり遠方の横断歩道や踏切を迂回しないといけないこともしばしば.

おまけに,護岸工事のため川沿いに歩けないことも.そして,猫ヶ洞池を一周したこともあり,水源から河口までの歩行距離は,18.8 km.そして,最寄りの駅までのアクセスを入れると,総歩行距離は23.5 km.出発が遅かったこともあるが,河口に到着したのは,日没直前.

ある程度予想していたことだけれど,野外調査などを除くと,おそらくこれまでに最も長距離の散歩になった,
かなり疲れた.

この山崎川,春は名古屋市内有数の桜の名所.何度か訪れたことも.
出かける前の下調べで判ったこと.
1.猫ヶ洞池は,尾張二代徳川光友の代(17世紀半ば)に,上池と下池が造られたが,今残っているのは上池のみ.ところで,ここに流入する流れをたどると,小さな池にたどり着く.これが本当の源流か.
2.縄文時代,山崎川は現在の瑞穂運動場(現在の河口から約8 km上流)あたりに河口があったらしい.運動場周辺には,大曲輪(おおぐるわ)貝塚や下内田貝塚が点在.また,このあたりには,潮路や汐田などの地名が残り,海が近かったことを思わせる.
3,瑞穂運動場の少し上流に鼎橋.江戸時代,このあたりに鼎池があり萩の名所だった.萩生町の地名も.
(39200)
今日は,始発のバス→地下鉄で名古屋駅→東京.
眠かった.

お昼過ぎには会議が終わったので,その後はお上りさん状態.

小雨降る中,本郷キャンパス→神宮外苑→靖国神社とイチョウ並木を散歩.(14300)

 植田川,現在は,私の散歩コース猪高緑地近くの雨水調整池から始まるが,愛知万博の際に改修される迄は,もう少し南に水源地があったらしい.

 昔の地形図を見ても池のようなものはないけれど,平坦な地形が認められる.実際そこに行ってみると,駐車場になっており,周囲より僅かに低い.配偶者の記憶とを合わせると,引っ越してきた当時,この辺りは湿地帯だったような気がする.
 今日は,ここを出発点にして,なるべく植田川に沿って天白川との合流点までの散歩.

 実際に歩いてみると,地下鉄東山線の地上駅(形容矛盾)上社駅は植田川をまたぐように真上に位置することや,植田川は何度も東名高速道路や名古屋高速道路の下を潜って流れていることなど,今まで気付かなかったことが判り,予想以上に面白かった.さて,次はどの川沿いを歩いてみようか.

 いつもと違って,距離の目処を付けずに出かけてため,途中までははたしてゴールまで到着するかと思ったことも.結局,河川部13.9 kmで総歩行距離は18.1 kmで,いつもよりも長い散歩.いつもと違う靴だったこともあり,足の裏には大きなまめができてしまった.(29500)

先週の奈良からの帰りに,木曽三川を渡っていて,不意に思いついた.
そうだ,渡し舟 乗ろう.

という訳で,まずは木曽川唯一の西中野渡船場へ.
対岸から客を乗せた舟が来る.これに乗って岐阜県側に渡るんだ.その後の計画も万全.そう信じて船着き場へ降りてゆくと,白波が立ち始めたのでこれをもって運行を見合わせるとのこと.ガーン.ショック.

これから,さらに風は強くなるだろうとのことで,昼食のついだからと,名鉄尾西線森上駅近くまで車で送ってもらって,残念ながら撤退.でも,渡船小屋に入れてもらえたのはラッキー.また今度.

そして,もう一つ予定していた長良川の小紅の渡しへ.同様に運行見合わせかと.危惧しつつ訪れてみると,セーフ.
女性の船頭さんでした.

県道173号文殊茶屋新田線の一部で,交通手段であるため,対岸に渡ると必ず下船するのがルール.
川面の向こうに,金華山と岐阜城が美しく見えた.

この渡し,その歴史は,少なくとも元禄年間まで遡る.少し下流にあった中山道河渡の渡しの裏街道で,鏡島弘法として有名な乙津寺(奈良時代の創建)への参詣に今も利用される.明日21日は日本三躰厄除け弘法大師の縁日で,この渡しも賑わうでしょう.ちなみに,13時20分頃に乗船したところ,今日は団体の利用が1組だけで個人での乗船は私が最初だとのこと.

参詣をしてから,岐阜駅に戻り,少し時間があったので,柳ヶ瀬界隈を散歩.懐かしいお店を何軒か訪ね帰路へ.

渡しではありませんが,もう一箇所寄るために名鉄名古屋本線栄生駅を目指したものの,暗くなってきたのでスルー.本当に日が暮れるのが早くなった.(18500)
約一ヶ月ぶりの井堀の棚田定点撮影を兼ねて,晩秋の猪高緑地散歩.(9800)





名鉄西枇杷島駅

1時間に上り下りほぼ各2本の名古屋本線普通がとまるだけの小さな駅.

ホームが極端に狭く,ベンチや屋根がないことでも(一部の人には)有名.
そして,構内の踏切を渡らないと,改札からホームに行くことができない.

しかも特急,急行,準急が頻繁に通過するので,安全のため普通電車が到着する数分前にならないと,ホームに出られない仕組みなっている(駅員さんが手動で操作).

来年にはダイヤ改正に合わせてホームが改修されるらしいので,その前に訪れてみた.何と物好きな.

もう一つの目的は,線路が作る西枇杷島トライアングルを写すこと.
西枇杷島駅と庄内川橋梁の間で,下り名古屋本線と下り犬山線が分岐.そして,西枇杷島駅の東で上り名古屋本線と下り犬山線を結ぶ連絡線が分岐し,綺麗なトライアングルを作っている.各頂点(分岐点)を,踏切の遮断機が上がる僅かな時間を利用して写してみた.これもまた,なんと物好きな.

10月の定点撮影を兼ねて猪高緑地散歩

ススキ,アキアカネ,うろこ雲,キンモクセイ,ムラサキシキブ,どんぐり(8200)




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