私的備忘録でもあります
豊橋電気軌道(現豊橋鉄道)は,1924年に渥美線がそして1925年に路面電車が開業.
それを記念して,田原市博物館で「開業100年渥美線展」,豊橋市美術博物館で企画展「市電と渥美線」が開催されている.
最終日はもっと先だと思いこんでいたが,FB友達の書き込みで,豊橋市の方は明日までだと知って,あわてて出かけた.
渥美線は,渥美半島カラフルトレインと称して,渥美半島で咲き誇る10種類の花をデザインした車両.
主に車中からすれ違う電車を写して10種類をcomplete.
路面電車は,飛び乗ったものが,全面低床式車両(LRV:ほっトラム)で,下車した時にパチリ.
昼はしらす丼が食べたくて,三河田原駅から歩いて道の駅めっくんはうすへ.しかし残念ながらそのお店今日は貸切.
ただ,三河田原駅を降りると,ちょうど田原祭りで山車の総揃え.これが見られたのはラッキーだった.
久しぶりに乗っての鉄分補給,そして歩きました.(16800 歩)
それを記念して,田原市博物館で「開業100年渥美線展」,豊橋市美術博物館で企画展「市電と渥美線」が開催されている.
最終日はもっと先だと思いこんでいたが,FB友達の書き込みで,豊橋市の方は明日までだと知って,あわてて出かけた.
主に車中からすれ違う電車を写して10種類をcomplete.
路面電車は,飛び乗ったものが,全面低床式車両(LRV:ほっトラム)で,下車した時にパチリ.
ただ,三河田原駅を降りると,ちょうど田原祭りで山車の総揃え.これが見られたのはラッキーだった.
久しぶりに乗っての鉄分補給,そして歩きました.(16800 歩)
今日は,アレの下見.
東海道新幹線が,愛知用水水路橋をアンダーパスするところ.
ネット検索してみても,この付近で新幹線を写したものはほとんどヒットしない.特に,今回写したアングルでの新幹線と水路橋との共演の写真は皆無(のように思える).なぜだろう.適切な撮影ポイントはないのかと出かけてみた.
ブッシュをかき分け,トゲで傷つき辿り着いた定員1名の狭いポイント.
決してJR東海さんの用地内ではありません.金網フェンス越しの撮影です.金網を破ったわけでもありません.枝を払ったり木を切ったりもしていません.ハイ
一眼レフやコンデジのレンズでは,どうしても金網が写り込んでしまうから,プロの撮り鉄さんは訪れないのかも.
このポイントに行く途中に,自転車日本一周の方に道を聞かれる.67歳とか.出発して約2.5ヶ月.スマホが壊れたので,交番でスマホを借りて奥さんに連絡しても,知らない番号だからか出てくれないと云っておられた.ご家族と連絡が取れることと,この先の安寧を祈る.
帰りは,大高緑地内を通って名鉄左京山駅に出た.
今日の名古屋の最高気温は37.2℃.さすがにほとんど人は出ていない.緑地内では,徒歩および自転車の人各1名とすれちがっただけ.
途中で,通称ペレーの木をパチリ.今度は夕日を背景に写してみたい.それは冬か.(18100 歩)
東海道新幹線が,愛知用水水路橋をアンダーパスするところ.
ブッシュをかき分け,トゲで傷つき辿り着いた定員1名の狭いポイント.
決してJR東海さんの用地内ではありません.金網フェンス越しの撮影です.金網を破ったわけでもありません.枝を払ったり木を切ったりもしていません.ハイ
一眼レフやコンデジのレンズでは,どうしても金網が写り込んでしまうから,プロの撮り鉄さんは訪れないのかも.
帰りは,大高緑地内を通って名鉄左京山駅に出た.
途中で,通称ペレーの木をパチリ.今度は夕日を背景に写してみたい.それは冬か.(18100 歩)
天候が不順で,一週間散歩に出ることができなくて,なんとなくイライラ.
今日は梅雨の晴れ間.朝から熱中症警戒アラートが発令され,最高気温は34.4 ℃.無謀かとは思ったけれど,百曲街道(11.4 km)を辿ってみた.
百曲街道は,江戸時代初めに開発された熱田新田の北側に自然にできた道.そこで,熱田のあたりから西へ続いていると勝手に思っていた.
しかし,実際にルートを調べてみると,現在の大須近く門前町交差点が上街道との追分で,西に向かい堀川と出会った後は南へ.六番町の北あたりで西に向きを変え,中川、荒子川を渡って庄内川に突き当たり,少し南へ行き東海道との追分に至っている.
六番町から西へ続く道が,おそらく新田の北側を境する堤防上の道だったのではないかと思われる.
庄内川に突き当たる少し前に,水田が残っている.そして,所々に見られるうねった細い道.これらが,熱田新田の名残なのだろう.(23100 歩)
今日は梅雨の晴れ間.朝から熱中症警戒アラートが発令され,最高気温は34.4 ℃.無謀かとは思ったけれど,百曲街道(11.4 km)を辿ってみた.
しかし,実際にルートを調べてみると,現在の大須近く門前町交差点が上街道との追分で,西に向かい堀川と出会った後は南へ.六番町の北あたりで西に向きを変え,中川、荒子川を渡って庄内川に突き当たり,少し南へ行き東海道との追分に至っている.
六番町から西へ続く道が,おそらく新田の北側を境する堤防上の道だったのではないかと思われる.
庄内川に突き当たる少し前に,水田が残っている.そして,所々に見られるうねった細い道.これらが,熱田新田の名残なのだろう.(23100 歩)
今日は,アジフライ,下之一色,番割観音という,三題噺のような散歩.
ことの始まりは,先日美味しいアジフライを食べたお店.そのお店がもともとは下之一色にあったことを知り,下之一色のことを調べていて,熱田新田の番割三十三観音に辿り着いた.
この熱田新田とは,初代尾張藩主徳川義直の命により,正保4年(1647年)から5年間かけて開発された地域(現在の熱田区、中川区、港区にまたがる).
この新田が,1〜33番に分割され,その際西国三十三観音にちなんで,番割三十三観音がまつられた(Wikipediaなど).
今日は,その番割観音を訪ねて,地下鉄熱田神宮西駅から市営バス中川車庫まで16 kmを歩いてみた.
時々小雨がぱらつき,熱中症警戒アラートが発表され,結構バテた1日.脱水症状を,美味いビールで解消しよう.(28100 歩)
Google Map上の各STOPをクリックすると,写真を見ることができます.
ことの始まりは,先日美味しいアジフライを食べたお店.そのお店がもともとは下之一色にあったことを知り,下之一色のことを調べていて,熱田新田の番割三十三観音に辿り着いた.
この熱田新田とは,初代尾張藩主徳川義直の命により,正保4年(1647年)から5年間かけて開発された地域(現在の熱田区、中川区、港区にまたがる).
この新田が,1〜33番に分割され,その際西国三十三観音にちなんで,番割三十三観音がまつられた(Wikipediaなど).
今日は,その番割観音を訪ねて,地下鉄熱田神宮西駅から市営バス中川車庫まで16 kmを歩いてみた.
時々小雨がぱらつき,熱中症警戒アラートが発表され,結構バテた1日.脱水症状を,美味いビールで解消しよう.(28100 歩)
Google Map上の各STOPをクリックすると,写真を見ることができます.
ネット情報(都道府県別統計とランキングで見る県民性)によると,石川県はカレー屋さんが多く(単位人口あたりの店舗数は全国一),カレーを好む県らしい.
一週間ほど前に,昔を懐かしんで,「金沢のカレー」の歴史をネットで調べて書き込んだ.
約60年の間にあった紆余曲折で,今では金沢カレーと呼ばれるようになり,その代表であるチャンピオンカレー(右)とゴーゴーカレー(左).それらを食べ比べてみた(半分ずつです).中央のスクランブルエッグは,バリアーのため.
金沢カレー自体の特徴と云えば,濃い色でドロッとしていることくらいしか思い浮かばない.もうひとつ,千切りキャベツが必須くらいか.味の特徴を的確に紹介することは,わたしには無理.そもそも,金沢カレーとして括れるような,味の共通点は,今あるのか.
両者とも,美味しいとは思うし好きだが,見た目も味も当たり前だけれど違う.
金沢カレーという名称なぞなかった時代を金沢で過ごした私にとって,金沢カレーって何だ.
一週間ほど前に,昔を懐かしんで,「金沢のカレー」の歴史をネットで調べて書き込んだ.
約60年の間にあった紆余曲折で,今では金沢カレーと呼ばれるようになり,その代表であるチャンピオンカレー(右)とゴーゴーカレー(左).それらを食べ比べてみた(半分ずつです).中央のスクランブルエッグは,バリアーのため.
両者とも,美味しいとは思うし好きだが,見た目も味も当たり前だけれど違う.
金沢カレーという名称なぞなかった時代を金沢で過ごした私にとって,金沢カレーって何だ.
知多四国八十八箇所お遍路 その12(結願)
お大師さまと丁石に導かれ励まされてのお遍路
南無大師遍照金剛
今日は前回のゴール名鉄高横須賀駅 → 第82番尼尾山観福寺 → 第83番待暁山彌勒寺 → 第84番瑞雲山玄猷寺 → 第85番慈悲山清水寺 → 第86番大悲寺観音寺 → 第5番延命山地蔵寺 → 第88番瑞木山円通寺 → 第87番鷲津山長寿寺で結願 その後,JR大高駅から帰途へ
最初の第82番尼尾山観福寺さんで,私よりもおそらく少し高齢(四葉マークの車を運転)のご夫婦と立ち話をして,かつてはお若かった6名の女性と一緒になる.次の第83番待暁山彌勒寺さんではこのグループの方に話しかけられる.私のような輪袈裟とずだ袋をかけた,白髪の男一人の歩きお遍路は,結構目立つのかもしれない.
次は,配偶者を誘って車でお遍路をしてみようか.(34700 歩)
お大師さまと丁石に導かれ励まされてのお遍路
南無大師遍照金剛
最初の第82番尼尾山観福寺さんで,私よりもおそらく少し高齢(四葉マークの車を運転)のご夫婦と立ち話をして,かつてはお若かった6名の女性と一緒になる.次の第83番待暁山彌勒寺さんではこのグループの方に話しかけられる.私のような輪袈裟とずだ袋をかけた,白髪の男一人の歩きお遍路は,結構目立つのかもしれない.
次は,配偶者を誘って車でお遍路をしてみようか.(34700 歩)