その後,岐阜城からの眺望.道三や信長も眺めたであろう景色を楽しみました.長良川の流路は多少変わったかもしれませんが.
岐阜という町は,訪れてほしいと思うころが多々あるのに,それを上手く伝えていないなーと,ズーッと思っていました.
阪急京都線西院駅がスタートで,西向日駅がゴールの比較的短いコースでしたが,名古屋圏在住の私にとっては,特にディープな内容でした.
結果的にはですが「京阪」がつくり「阪急」が運営するという不合理さの 語るも涙聞くも涙の物語と名古屋へという壮大な夢に関する遺構を堪能しました.
その後,プライベート・オプションで山崎に移り,天王山周辺で,アサヒビール大山崎山荘美術館とサントリー山崎蒸溜所の見学.
まずは,JR貨物線越中島支線.小名木川にかかる鉄橋.この線,列車が数往復するらしい.それだかどうか判らないが,渡るところに出会えてラッキー.西大島駅から南へ.
次は,東京港湾局専用線の跡.100 m程度だけがポツンと残る.不思議な光景.木場駅から南へ.
そして,汐留駅—築地駅を結んでいた貨物線の跡に残る警報器.「銀座に残る最後の踏切遺産」は,新橋駅のすぐ近く.以前訪れた,旧新橋停車場は,時間が無かったので,今回はスキップ.(17800)
私は麓コース.歩いていると,前方から先程の方がこちらに向かってこられる.私のほうは,一周コースに換算すると,まだ1/3程度歩いたところ.写真を撮りながら歩いていたとはいえ,そのほぼ2倍の速度で,アップダウンの厳しい尾根道を歩いてこられたことになる.すごい.
息子が軽い夕食をとってから帰るというので,さて,筍の天ぷらでもつくることにします.私の酒の肴も兼ねて.
仮想「おくのほそ道」の旅は,まだ弥彦に着かず.
途中,信長塀を見ようと熱田神宮を訪れたところ,神輿渡御神事に出合う.これは,草薙神剣が皇居から当神宮に還座した際の故事に由来するもの.しばし拝見した後,一路北上.
それにしても暑い一日でした.(19600)
ここは,美濃国府が置かれた地.
新垂井駅は,あるトラベルミステリーで,走行中の列車が
一抹の不安が的中して,祝日のため目的地付近までの巡回
そんな訳で,新垂井駅跡はまた今度.
その代わりに町中を彷徨っていたら祭り囃子の音.八重垣神
相川の鯉のぼりは,桜の季節から行われているとのこと.
ところで,不破関編で訪れた黒血川の説明に,「青野ヶ原
調べてみたら,南北朝時代の1338年に北畠顕家率いる
そういえば,このことはどこかで読んだ微かな記憶が.
青野原は,現在の垂井町と東の大垣市が接するあたり.
前回,2回の天下分け目の戦いと書きましたが,これも,
久しぶりの13km散歩.
仮想「おくのほそ道」の旅は,
2回の天下分け目の戦いが行われた地.
今日は,壬申の乱ゆかりの地を訪ねてみました.
もっと前からあったのかと.
歴史好きを自認していましたが,現地を訪れて,知らなかったことがあまりにも多いと痛感しました.
不破関跡は,枕詞にもなっていたんですね.
芭蕉は「秋風や 藪も畠も 不破の関」
そうなんです,民家の裏の畑の中に,伝大海人皇子の兜掛石と沓脱石.少し西に行くと大海人,大友両軍が対峙した「関の藤川」.さらに行くと,弘文天皇御陵候補地・「自害峯の三本杉」.その麓には「黒血川」.新幹線がひっきりなしに渡ってゆきます.関ヶ原は,今も西と東を結ぶ地.
なお,不破関守の館跡では,関守の末裔である三輪家が所有する庭園「関月亭」がその一部として公開されています.
あまりにも見たいところが多すぎる.ある程度土地勘と距離感がつかめたので,今一度訪れたい所です.その後は,関ヶ原の戦いゆかりの地巡りが待っている.こちらも2〜3回かかるかと.(22900)
仮想「おくのほそ道」の旅は,この後に垂井地区を歩いた分を合わせると,やっと新潟に到着.
早咲きの名古屋市東区のオオカンザクラと八事香積院のしだれ桜を訪ねてみました.
美しかった.訪ねてよかったです.撮した写真は125枚. 選ぶのがたいへん.
というわけで,まずは,泉2丁目〜白壁の桜並木を桜紀行2017にアップしました.
仮想「おくのほそ道」の旅は,新潟までの道のりまだまだ遠し.
新1年生となるミーちゃんと約束をしていた,通学の練習散歩を今日実行.
彼女の家から学校までは約1.2 km.帰りには,アイスクリームを食べるために喫茶店デビュー.
いたるところに春.
我が家が当地に引っ越してきた時の前年度までは,この小学校の校区だったため,それまでは1年生でも片道約2.5 kmの道のりを通学していたとのこと.
ちなみに,私の田舎の家は学区の南端に位置しています.そして,小学校の社会科だったかの授業で,繩を使って通学距離を実測したことがあり,約1.3 kmでした.もちろん,1限40分(?)で,測定が完了するはずもなく,おおらかな時代でした.(9900)
仮想「おくのほそ道」の旅は,新潟までの道のり通し.
先週,途中で諦めた鳴海〜星崎散歩の続きに出かける.
鳴海での今日のハイライトは,鳴海球場跡.
1931年と 1931年には,ルー・ゲーリックやベーブ・ルースらメジャー・リーガーが試合をし,1936年には初めてプロ野球の公式戦(東京巨人軍(3)対名古屋金鯱軍(10))が行われ沢村栄治が投げた球場.
今は,自動車学校になっていますが,外周や残った一部スタンドに野球場だったことが偲ばれます.
ちょうど,昼休みの時間だったので,職員の人にお願いして,敷地内にあるモニュメントを見せていただく.
もう一つは,桶狭間の戦いの遺跡,鳴海城跡と善照寺砦跡,前者は今川方の猛将岡部元信が守り,後者はそれを攻めるために信長が築いた三砦のひとつ.実際訪れてみると,両者は目と鼻の先,本当に近いところで対峙していたことにビックリ.
その後,鳴海から一駅の名鉄「本星崎」まで歩き,ここをスタートとゴールとする星崎コースへ.
このあたりは,笠寺台地の先端で,歌枕としても知られた年魚市潟(あゆちがた)に面していたところ.
そして,星宮町,星崎町,星園町,星崎城や星宮社など星にゆかりのある地名がたくさんある.
それもそのはず,1632年に星宮社の南の南野村に隕石が落下し,そのほか8世紀と13世紀にも同様の言い伝えが.江戸時代の隕石は,喚続神社へ寄進され、社宝となっている.
言い伝えが確かなら,まさに星が訪れる地.(24700)
仮想「おくのほそ道」の旅は,村上を過ぎて,新潟へ.
途中でGPSのログがとれなくなってしまった.そんな訳で,歩行記録は3.3 km.
仮想「おくのほそ道」の旅,今日は村上に到着できるかと思っていたけれど,未だその途中.
久しぶりに尾根筋をたどる.
定点撮影のほかには特に目的はなし.御嶽山が遠望できるかと期待したけれど,薄い雲がかかり見えず.(11800)
仮想「おくのほそ道」の旅は,村上までの道のり遠し.