私的備忘録でもあります
今日は,東濃鉄道企画「廃線跡ウォーク笠原鉄道編」に参加.

1928年に笠原鉄道として新多治見駅〜笠原駅が開業し,その後東濃鉄道笠原線となり,1978年に全線廃止となった路線.廃線跡は,陶彩の径として整備されており,今日はそこを辿った.

用意された記念のバッチは,写真を撮りながら私がゴールしたときには配付完了.おそらく,私は後半の前半くらいのゴールだった.いったい何人が参加したのか.結局,東鉄の予想をはるかに上回る参加者だったわけで大成功.
おそらく私は,参加者の平均年齢程度もしくは少し若かった?

通学に使ったなど,昔を懐かしむ話も,いろんなところから聞こえていた.
第一弾企画となっていたので,次回は駄知線跡ルートか.


さてお昼はどこにしようか。
ころかけ発祥のお店 信濃屋を思い出した。調べると多治見駅近く。しかも、営業は週一で、それが幸いにも今日。空腹を我慢して駅までもどる。
ネット情報によると、1930 年名古屋創業のお店に由来して、戦災で1948年に現地へ。

覚悟はしていたが、入店待ちの人がこれほどとは。売り切れ閉店なので、ちょっと心配。
時はのんびりと流れている。約1時間並んで入店。メニューは、ころかけ、うどんと支那そばの並と小のみとシンプル。

ころかけと支那そば小をいただく。
薬味がのっているだけで麺類そのものもシンプル。ころは、ネギ、削り節、生姜と白ゴマ。支那そばは、ネギのみ。支那そばの麺は、太くて透明感があり、独特の食感。

これで勝負できるのだから、麺も汁もしっかり作られている。休みの日が仕込みというのも納得。
見た目と異なり,汁の濃さは薄味好みの私にぴったりなくらい。
ころを食べ終わった頃を見計らって支那そばが届く。
接客(とくにご主人)は、客が恐縮するほど。この雰囲気と味によって、あるサイトで長い間百名店に選ばれ続けているんだな。

ごちそうさまでした。(15900 歩)
東近江地域には,聖徳太子の伝承が多く残っている.

御都繖山石馬寺にも聖徳太子ゆかりの伝承が残されており,国指定の重要文化財の仏像も多く祀られている.

そして,ご本尊 十一面千手観世音菩薩(秘仏:伝快慶作)と脇侍地蔵菩薩と毘沙門天(ともに伝運慶作)がご開帳されており,参拝にうかがった.

長い石段を登ったのちにお目にかかる仏様たち.

オン バザラ タラマ キリク ソワカ

案内をしていただいた方の話によると,ご本尊のご開帳は,各代の住職が一度だけ行う儀式とのこと.しかし,先代の住職はご開帳をされず,聖徳太子1400年御遠忌にあわせて70年ぶりのご開帳となった.


参拝の前に,安土駅からトコトコと約2.2km歩いて食堂海坊主へ.

一昨年は臨時休業で,昨年は第2と4の火曜日も休業なことを忘れていた.2度あることは3度あるかと心配したが,3度目の正直だった.よかった.

女将のワンオペとの話だったが,たぶん息子さんが手伝い.

開店直後というのに,4名の先客.その後すぐに5名.

昔ながらのラーメンとチャーハンを注文.こういったお店での私の定番.スープがいいね.
ごちそうさまでした.(16400 歩)





街中に出る時には、なるべく所用をまとめて.

昨日長男から送られてきた写真の中に,庄内緑地公園の富士山滑り台で遊ぶ孫たちの姿.

調べてみると,昨年新しく作られたらしい.
そこで,所用のついでに訪れてみた.とは言っても大きく回り道.

昔つくられた多くのシンプルな富士山滑り台とは異なり,小さい子どもへの安全を配慮してか,なんとなく今様っぽい.
意識して設計されたかどうかはわからないが,直線上に並ぶ側火口もいくつか.

次に,これが所用かどうかは議論の余地があるけれど,「さかなと米にこだわったシュフ's ユミッチ」で,鯵フライランチ.

女性3人でのお店.なんでも,ご家族が市場関係とのことで,質および価格でアドバンテージがあるらしい.

うかがったところ、長崎松浦の鯵のこと.やはり美味い.
ごちそうさまでした.(7900 歩)
息子家族から,父の日のプレゼント お酒が届いた.

高砂(静岡),千代菊(岐阜羽島),加賀の井(新潟),鬼ころし(岐阜老田酒造),銀盤(富山)

「あんまり飲み過ぎないように ほどほどにね いつまでも健康でいてください」というメッセージとともに. 

うむ.
今日は,本来なら休肝日.悩ましい.

まあ,とりあえず,今宵はこれで一杯.

ホタルイカ
刺身,しゃぶしゃぶ,酢味噌和えに続く四品目は,沖漬け風.
目と嘴をとる下処理は上手くなったと思う.
「名古屋で海外の絶景!?カメラ好きの間で有名な「ペレーの木」を探し出せ!」という,なんとも刺激的なタイトルのネット情報.

東海地方の民放テレビ局の番組紹介コーナー.

すっかり忘れていたけれど,その木を撮した記憶が.そして,写真を探し出した.
ほぼ3年前,大河ドラマ”麒麟がくる”の舞台を彷徨っていて,「大高緑地の一本木」という表示がきになり訪れたスポットだった.

あえて場所は紹介しません.
とは言っても,ネット検索すれば簡単にヒットするし,最寄り駅から簡単にたどり着けるところ.

いつ頃のことかは不明だけれど,なんでも「ペレー」という名の写真家の方が,最初に注目し情報発信したからこの名前がついたらしい.

それ以前にも数え切れない人がここを訪れたはずだが,少なくともその美しさを情報発信はしなかった.
私のように,絵になると撮してはみたが,それを忘れてしまった者も多いだろう.ブログやFBにさえアップしていない.人と組み合わせて撮るという発想もなかった.

やはり,注目して情報発信することは大事だ.それに,構図の妙も勉強させてもらった.
今日は,一番下の孫の誕生日パーティー.

息子家族の希望で,鶏とゴボウの唐揚げがメイン.
鶏肉は,2.2 kg.これを11人で完食.孫たちもびっくりするほど食べるようになりました.

玉子不使用の31特製アイスクリームケーキ.
各自希望のフレーバーの問い合わせが,私以外のところにはあったらしい.
そして,これしかないでしょうという,訳のわからない確信のもと,私用には「抹茶きなこ -とろ~り黒蜜-」が用意されていた.

早めの夕食後のデザートは,長女が徳島から取り寄せてくれた,和三盆のおはぎ.

それぞれ帰宅し,一段落したところで,配偶者が「お月様を見てこよう」と出かけたものの,帰宅しても予想していた指令なし.「お月様を見てこよう」が,すでに指令だったのかと,外に出てみたが,東の空は雲に覆われていた.なるほど,指令がないわけだ.
各地に大きな爪痕を残した台風と梅雨前線.
京都の朝は,台風一過の青空.
なれど,東海道新幹線は,実質的に全面ストップ.名古屋に帰れない.
さてどうしよう.

そうだ 祇王寺 行こう

平清盛の寵愛を失い尼になった白拍子祇王ゆかりのお寺(平家物語).苔の名所でもある.

1968年9月から半年にわたって,テレビ放映された「怪奇大作戦」.
その第25話「京都買います」.私にとって最も印象的な回.

京都のお寺から,次々と仏像が忽然と消える.その事件に関与する,仏像を愛する女性.
祇王寺は,この回のクライマックスとなったシーンが撮影されたところ.

ここを昔から訪れてみたかった.いわゆる今様の「聖地巡礼」.
撮影スポットは特定できるのか.撮影スポットは,55年のうちに変わったのか.とても興味があった(上の写真が現在,下の写真は当時のシーン.DVD-Boxより).








近くにある,化野念仏寺も訪れてみた.
京都駅に戻ると,ダイヤは乱れているが,なんとか動き始めている東海道新幹線.
指定席車両のデッキまで満員.私もデッキ組.
清洲を過ぎてもう少しで名古屋というところで緊急停止.名古屋駅で緊急停止ボタンが押されたとのこと.なぜかもしくは誰がかは不明.

並走している東海道本線を特急しらさぎ,快速,普通列車などが,となりでは下り新幹線が次々と通過してゆき,それを眺めている.
貨物列車も追い抜いてゆく.

その後,信号停車を繰り返し,清洲近くから約50分かけてやっと名古屋駅着.
入場者数が,改札口でコントロールされているので,新幹線ホームはそれほど混雑していない.これは安全面からも良いこと.しかし結果,新幹線への乗客の列は,改札口からコンコースに出て東西に縦断,桜通口のはるか外まで続いている.しかもこの列は二箇所で.
こんな列に出会ったのは初めてだ.(17200 歩)
先日の不思議な道に続く,道路関係の話.

もちろん偶然ですが,私の行動パターンを読まれているかのよう.
昨日,地元新聞のネット版に,岐阜駅まで歩いて戻る私にぴったりの記事.

三角柱の距離標(キロポスト)

側面にある「岐阜羽島」は,「県道岐阜羽島線」を,1・45は,かつて司町にあった3代目県庁舎からの距離を意味しているとのこと.もう一面は「岐阜(県)」だろうか.
このあたり,庭とは言いませんが,勝手知ったるところ.もちろん立ち寄ってみた.

調べてみると,県庁舎が司町から現在のところに移ったのは1966年.
いったい,いつからここにあるのだろう.

2007年にその役目を終えて,今はかなり埋まっている.しかし,許可なく動かすことは禁じられているから,これからもズーッとここにあるのでしょう.
散歩コースの途中に,不思議だと思っている道がある.

細い路地が,東西に走る片側二車線の県道217に切られている,しかも,その間には50 cm程度の高低差があり,両者はつながっていない.

一日中雨なので,外出することもできず,暇なので,どうしてこんな道ができたのかを考えてみた.

県道を挾んで北側には弁天池が,そして地形図からはわからないが,南に行くと所々に狭い水路が顔を出す.したがって,弁天池から流れる水路の暗渠だと勝手に決めつけていた.

昔の地形図なら,その痕跡があるかもと,今昔マップで現在の地形図と比較してみた.あわせて,市道の道路情報にもあたってみた.ダメ元で検索してみたのだけれど,こんな道路台帳のような情報までオンラインで取得できるとは,ちょっと驚き.

その結果,少なくとも45年くらい前から,この路地はせまいながらも立派な市道(当時は町道)467 岩根1号線で,少なくとも27年前まで,他の2本の道と変形三叉路をなしていたことがわかった.そして地形図1968年修正測量版と比較すると,この町道は南北に走る崖の縁にそってつくられたらしいことも推測できた.また,水路の痕跡は確認されない.従って,正しいと思い込んでいた排水路暗渠説はほぼ成立しないことに.

おもしろくなって,新旧地形図の比較を続けるた結果,現在のように東に延びる県道217とそれとほぼ直交して北へ延びる片側2車線の市道14 竹の山中央線をつくろうとすると,結果的に通行量が大きく異なる道が参加する変形五叉路となる.これを避けるために,最も狭く斜めに接続する市道467を行き止まりにしたのではないだろうか.

これで,なんとなく当人はスッキリしたつもりになっている.ただ,なぜ市道467と県道217の間に高低差があるのかは,依然としてナゾ.県道217の一部を,わざわざ盛り土したとしか思えないのだが.
こんなことをしていた午後でした.
ともかく,勝手な思い込みはぜずに,調べることは大切ですな.
昨日,科博筑波研究施設での用事からの帰路,
いただいた入場券で上野科博の特別展「恐竜博2023」へ.ありがとうございます.

今回の主役は,「トゲトゲ:鎧竜ズールの全身実物化石」.
その他に,装楯類,南半球と北半球の獣脚類など.

化石内部の3D解析やレーザー励起蛍光法により新たに得られた画期的な情報など,新しい技術およびその成果の紹介もおもしろかった.
最近は.次女まで,よくわかる暗号指令を送ってくるようになった.しかも画像付き.

つくばからの帰途,「なんかいい感じ」のコメントとともに,写真を受信した.

スマホでの撮影ながら,よく見るとかすかに地球照までみることができる.最近のスマホ,ズーム機能以外はすごいと思う.

任務を完遂しなければ.
帰宅時は,まだ間に合った.さっそく,LINEで家族へ送信.(9200 歩)
世界最大級の花 ショクダイオオコンニャク

つくば科博の筑波実験植物園では、この花が、ちょうど短い開花の時期をむかえていた。

この花、葉をつけては枯れ冬眠する周期を数年間繰り返した後、冬眠から花を咲かせる周期に移行(科博の株はもう少し短い開花周期とのこと)。そして、開花は2-3日間くらいらしい。

昨日、Tさんに案内してもらった。
偶然とはいえ、そんな時に訪問するスケジュールをセッティングしてもらったことに感謝。
今宵は、高校の同窓生Kさんとつくばで一杯。
たぶん45年ぶりくらいの再会。

酔いに任せて、つながるかどうかドキドキしながら、別のKさんの自宅に電話をかけてみた。そして長い時の隔たりは、あっという間に解消された。

ゲストハウスに帰ってニュースを見ると、今宵関東地方は、至る所で局地的豪雨。
そういえば、店の中で「外はすごい雨」と聞いた気がする。ひょっとしたら、店に入った後に激しく降り始め、出る前に止んだのか。(14300歩)
もう11年経ったのかと思う.

東の空を覆っていた雲が突然消えて,金環日食の時を迎えた.その奇跡.

その時,一番年上の孫でも1歳.もちろん覚えてはいない(本人に確かめたわけではないが).

そして,ブログには,日本で観測される次の金環日食は2030年の遠い未来と書いた.今でも遠い未来の気がする.

ところで,父が残したアルバムに,部分日食の写真があったことを思い出した.
父の年齢や出征していたこと,そしてカメラの普及を考慮すると,東海地方で食が大きかったのは1958.04.19(名古屋市科学館のネット情報).この時に撮されたような気がする.私は生まれていた.
あのアルバムは,母が持っているはずなので,今度聞いてみよう.
今日は,孫の運動会.

GPS計測によると,小学校までは往復5.2 km.
配偶者と散歩がてら歩いたが,昨日から続く5月とは思えない暑さに,いささかバテた.

孫は,心臓に疾患があるので,激しい運動ができない.
80 m走は,半分の40 mを完走.
集団での競争は無理なので,かわりに放送係を用意してもらって,喜んで参加していた.

わが家がここに引っ越してくる直前に新しい校区ができたが,それまではこの小学校まで,このあたりから1年生も歩いていたことになる.

ちなみに,私の田舎の家は,校区のほぼ南端にある.社会科の授業として,家までの距離を間縄のようなものを使って求めることを行った.
もちろん,一コマの時間で終わるはずもないから,他の教科の時間も使ったのか,もしくは帰るときに測ったのだろうか.
いずれにしても,おおらかな時代.求めた距離は,1.3 km(Google map上でも1.3 kmでした).それでも遠いと思っていたのだから,片道2.6 kmの通学はたいへんだったと思う.(9100 歩)
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