私的備忘録でもあります
今日は土曜日.名古屋港線(来年3月いっぱいで廃止)に週3往復だけの貨物列車が通る日.

たぶん一番近くて,撮影ポイントになりそうな所はどこだ.

おそらく,ナゴヤ球場正門前駅跡地にある八島踏切(前回の下見が功を奏した).
通過時間まで約30分.ルート検索をしてみると徒歩で28分.地下鉄と東海道本線を乗り継ぐのとではどちらの可能性が高いかを考え,駄目もとで徒歩を選択.

このルート,名古屋の広い道を3本横断しなければならない.ことごとく信号に引っかかり,現地には微妙な時間に到着.

通過してしまったかと思ったが,同好の士が1名いるのを見て少しホッとした.
実は,私の運行ダイヤの記憶違いで3分の余裕があった(正確な運行に感謝).
今日は,レールを運ぶ列車に出会えた.旧ナゴヤ球場正門前駅ホームは,右側の写真で列車の左側の空き地あたり.
向こうの高架は,東海道新幹線.

今日は,予定外の行動ばかりだったので,この後はおとなしく尾頭橋駅経由で帰宅しました.はい.(10000 歩)
ここ2ヶ月ほど,散歩に出かけることもほとんどなく,部屋に籠る日が多かったせいなのか.そして急に朝夕凉しくなったこともあるのか.
太ももや腰に張りと少し痛みを感じて,昨日は楽しみにしていたスリバチ学会FWをドタキャン.すみませんでした.

我流でストレッチをしたら,昨朝のような違和感はなくなった.そこで,足慣らしをかねて猪高緑地散歩193.
幸い痛みがぶり返すこともない(今のところ).

陽射しはまだ強く,名古屋の最高気温は31 ℃超.しかし吹く風はやはり秋だし,緑地にも秋の花々.ただ,調べても自信を持って名前を特定できない.

そろそろ,知多四国八十八箇所お遍路を再開しようか.しかし,その前にもう少し足慣らしが必要.(9700 歩)
有名うどん店の(おそらく)若い大将が,昔ながらの公設市場にあった製麺所をオマージュして開店した,きしめんのお店とのこと.

私もよく通る地下鉄星ヶ丘にあり,気にはしつつもこれまで入ることはなかった.
炎天下の趣味の世界からの帰り道,おそい昼食に訪れてみた.

すだちをトッピングした冷たいつゆのきしめんを注文.きしめんの喉越しとすだちが,涼しさを演出してくれている.ムロアジとサバ節・鰹節(?)の出汁が強烈に効いたツユもいいね.飲み干してしまった.ごちそうさま.
気温はともかく,やっと散歩に出られる天気になった.
木陰に入ると,吹く風が心地よい.

一ヶ月ぶりに,猪高緑地散歩192

いつの間にかツクツクボウシ.今年もヒグラシを聞かなかった.

振り返れば,十日夜の月が南の空に.

やっと,躊躇することなくシャッターを押すことができるようになったかも.
最初の 1枚は,ズームする余裕も無く撮した写真をトリミングしたもの.トンボさんまで共演してくれていたとは,トリミングするまで気付かなかった.

相当荒れた絵だけれど,今日はこの1枚を撮せただけで大満足.(9600 歩)
前日から戻しておいた干し椎茸.
思いつきで昼食をつくる私にがこんなことをするのは珍しいこと.

目的は,食料庫の奥で見つけた素麺の超おおひねものを楽しむ(消費する)事.

なんと,賞味期限を2年過ぎているが,熟成したものを好む人もいるから問題なし(乾麺に何故賞味期限があるのかよくわからない.酒にはそんなものないのに).

もどした椎茸は,冷凍しておいたマッシュルームと豚挽肉と一緒につけ汁の具材.
具材たっぷりのつけ汁を入れる適当な器がなかったので.コーヒーカップを使ってみたが,食べにくかったので,結局素麺にかけて楽しんだ.

連続猛暑日のそんな昼食.
今日も暑い1日だった(と思う:部屋にこもっていたので実感なし).

午後5時を過ぎても玄関の温度計は31℃.
それでも,吹く風はなんとなく涼しいので,約一ヶ月ぶりに猪高緑地散歩191.

西日が美しかった.(7900 歩)
お大師さまと丁石に導かれ励まされてのお遍路.南無大師遍照金剛

今日は前回のゴール名鉄青山駅 → 第二十二番大日寺 → 第二十三番蓮花院 → 第二十四番徳正寺 → 第二十五番圓観寺 → 葦航寺(開山所) → 影現寺(時志観音) → 第二十六番弥勒寺 → 名鉄河和駅(28300 歩)

ありがたいことに,右膝の痛みは再発するともなく予定したお遍路の1日.
一時雲が出てパラパラと雨が降り,昨日ほどの暑さではなかった.それでも,スポーツドリンク3本と夕食時にアルコールフリー飲料 500 mlを飮んでしまった.そして,まだ飲み足りない感じ.

水中毒かと思って調べたら,それはやたら水分を欲しがることそのものではなく,水分を摂取しすぎて,血液中のNa濃度が異常に低くなり諸症状が起こることを指すらしい.

私の場合は,ただ単に体が欲していただけらしい.
それほど,体が干からびたと言うことか.
陽射しは相変わらず強いが,熱風ではない風が吹いてきたので,久しぶりの散歩に出かけた.

2003年に,長久手の休耕田に大賀ハスが植えられ,地主さんが世話をされている.今年でちょうど20年.数年前に配偶者と訪れて以来,毎年おじゃましている.

リニモの長久手古戦場駅までバスで行き,そこからぐるりと一周.ちょうど良い足慣らしになった.

今宵は,いちだんとビールが美味いと思う.(9800 歩)
昨日は局所的に激しい降雨があった東海地方.
今日は,晴れて厳しい暑さだった(岐阜の最高気温は34.6 ℃).湿度も超高い.

各務原を中心として活動されている皆さんからお誘いいただいて,各務原の八木山(標高296 m)と天狗谷古墳と古窯跡群を訪れた.

八木山は,西に開いたU字形に分布しているジュラ紀堆積岩層(坂祝向斜)の軸部近くを構成するチャートの山.西に辿れば金華山に続く.
低い山なれど,木曽川沿いの各務原や犬山,そして遠く名古屋駅方面も望めた.冬場の空気が澄んでいるときに,再訪したい.

案内していただいた皆さん,ありがとうございました.(13000 歩)
昨日見た,青いアジサイが気になって,2日続けて猪高緑地散歩190.
当初は往復だけの,短い散歩の予定だった.

昨日は15:57前後,今日は16:03前後の撮影だった.光の微妙なあたり具合なのか,印象が大きく変わるものだ.それとも1日で色が多少変わった?

2枚の写真はいずれも今日撮したもの.当地には,少なくとも2種類の青が存在することは確認できた.どちらも美しい.

そのまま帰る予定だったが,日本酒を持ち寄っての食事会のことを思い出し,スーパーとリカーショップ巡りをすることに.なかなか,思い付く銘柄の置いてあるお店が見つからない.デパ地下を巡るしかないか.

そんなわけで,暑い午後いつもと違うルートの予定外の長距離散歩になってしまった.(11300 歩)
梅雨前線が南に下がり,日の光は強いものの爽やかな風が吹いている.

梅雨の中休み

久しぶりに,猪高緑地散歩

ここのアジサイは北鎌倉の明月院ブルーに匹敵する色合いだと思う.

年々少なくなっていくようで心配.




井堀の棚田では,カルガモの子どもたち.
先日見かけたカルガモペアの子どもたちか.今年からカルガモ農法?

倒木の上で,野良ちゃんがのんびりと涼んでいる.(10600 歩)
知多四国巡礼の途中のこと.歩いてみて気がつくことがある.

1.最初,「おつかれこども」と読んでしまって,首をかしげた.そして気がついた.ここは,半田市乙川町.







2.グローリーホール・ダム穴@七本木池 半田市一本木町 
美しいと思うが,私はなんとなく恐怖も感じる.




3.「豊田佐吉翁発明 近代力織機発祥の地」の碑@半田市乙川高良町 
何故ここにと思い調べたら,日本最初(明治28年:1895年) に動力織機がつくられ,この地に「乙川綿布合資会社」が設立されたとのこと.



4.何故ここに,「特急ひのとり」が?@名鉄名古屋駅ホーム 
まあ,競合路線はないし.....でも,ちょっとおもしろい.
お大師さまと丁石に導かれ励まされてのお遍路.南無大師遍照金剛

今日は,名鉄植大駅→亀宝山(年弘法)東光寺→第54番亀嶺山海潮院→清涼山(奥の院)海蔵寺→第18番開運山光照寺→第19番前明山光照院→第20番萬松山龍台院→第21番天龍山常楽寺→名鉄青山駅(30900 歩)

半島の丘陵部から海岸部への道すがら,いくつか丘を越えた.そのためか,大胆四頭筋,何故か特に大腿直筋が痛い.これまでになかったこと.
名古屋スリバチ学会友達の方に誘っていただき,尾張—国境近くにある起宿界隈から木曽川を越えるルートで美濃路を散歩.

集合時間には少し早く到着したので,まずは木曽川堤防を一人プレ散歩.

木曽川をはさんで眺める,薄もやに霞む養老山系—関ヶ原—伊吹山系は美しいと思う.

このあたりは,美濃路散歩で訪れたことはあるが,新しい切り口での紹介で,またひと味ちがった散歩となった.

ありがとうございました.(15400 歩)



尾張東部から三河西部にかけての丘陵地に,古墳時代から鎌倉時代初期の古窯(跡)が多数分布している.猿投古窯群と呼ばれ,その技術・伝統は,瀬戸窯や常滑窯などの中世窯へと受け継がれていった(パンフレットの説明などから).

残っている猿投古窯のひとつ,香久山古窯(岩崎四五号窯:平安時代初期)春(初夏)の一般公開(日曜日午前の2時間)を,散歩がてら訪れてみた.この古窯,天井部分を除いてほぼ完全な状態で現存しており,内部の構造がよくわかる.

訪問者ノートを見ると,見覚えのある筆跡で書かれたYさんの名前.私が訪れる直前までおられたようだ.私よりも6歳くらい上で,同じ理学部に勤務.
ご近所に住んでおられたとは.


そのまま帰るのはもったいないので岩崎城へ.
ほぼ残っている曲輪,土塁,空堀,馬出しなどから当時を想像することができる.もちろん今再建されている模擬天守閣のようなものはあったはずもないが.
小さな城ながら,小牧・長久手の戦いの際,ここを守っていた丹羽氏重たちが,秀吉側の岡崎中入り阻止に決定的な役割を果たした.結果,この戦いの趨勢,そしてその後の,秀吉と家康の力関係に大きな影響をおよぼした.

「どうする家康」では,このあたりどのように描かれるのか,または描かれないのか.今回の脚本,従来はあまり取り上げられなかった人を含め,毎回個人にスポットライトを当てる傾向がある.案外,丹羽氏重さんの登場もあるかも.

帰り道,塩豆大福の幟を見て,ついふらふらと.そして,抹茶クリーム大福も買ってしまった.私は,甘いものを買うことはあまりないが,和菓子でも大福系ときんつば系は別.(10500 歩)
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