私的備忘録でもあります
坂道本(タモリ著)が近々刊行される.

10年ほど前の江戸詰の際に購入した「タモリのTOKYO坂道美学入門」を思い出し, 先日その記事を参考に散歩してみた.
訪れたのは順に,すべり坂,あひる坂,鳥居坂,暗闇坂,七面坂,暗闇坂,狸坂,狐坂,大黒坂,一本松坂,仙台坂,それに日向坂.

ネット情報によれば,このうち江戸の町に少なくとも8箇所存在する暗闇坂.明るさを測定したらこのオーストラリア大使館脇の暗闇坂が最も暗かったなんて話も.

このあたり,お隣の国やそのお隣の大きな国の大使館などもあり,警察官がいたるところで立ち番.そんなところをiPadで地図を見ながらカメラを肩にふらついている男.まさに,テロ対策特別措置法が想定している怪しい人物(当時の大臣の答弁に依れば,カップ酒や缶ビールをもって歩くと,花見客なので対象から外れるそうだ).こういったときは,堂々と写真をとり,顔を合わせれば「こんにちは」とこちらから挨拶.これが一番,

日向坂,この名を冠したグループは,私でも知っている(名前だけ).当初は予定になかったけれど,地図を見て気がつき,ちょっと足を伸ばした.
ところが,読みは「ひゅうがざか」.「あやまってひなた坂とも読んだ」との説明.ホテルに帰って,ネットで調べたけれど,「ひなた坂」が正式名の坂は,江戸の町には存在しなかったという落ちでした.(16600 歩)
そろそろ本格的な遠出散歩に出ようと,雨雲を気にしながら今日も足慣らしのご近所散歩.

よく彷徨い中と書きますが,これは目的地に着いてからの話.本当は,無目的に散歩するのは苦手.

以前ここの近くに住んでいたし,当地に引っ越してきてからの通勤路沿いでもあり,一度訪れてみたいと思いながら約40年.

名東本通り沿いにある亀さん.創業1975年.いかにも昭和の喫茶店.
今日はここで,名古屋飯と呼んで良いでしょう「どて丼」.
どて丼とはこんな味だったのか.もう少し甘味が強いと予想していた.昭和の味だな.ごちそうさまでした.

メニューには,久留米中華そばなるものも.どうしてここに.気になる,次回はこれを注文してみよう.(10500 歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第五十五番南光坊さんと第五十六番泰山寺さんに参拝.
雨が降る前に,買い物をかねて散歩.
このスーパーにも欲しいものはなかった.

スーパーの建物内以外は,マスクをはずして歩く.
何と呼吸が楽なことか.(9100 歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第五十四番延命寺さんに参拝.
夕方になっても気温はやっと30℃を下回る程度.
空にはモクモク.まるで見上げ入道.

まだまだ暑いが,猪高緑地ではツクツクボウシの声が聞こえるようになった.
季節の移りは正直だ.

右の枚目の写真は,「アヒルさん」という6歳の孫のコメントともに送られてきた.
確かに,クチバシも小さな目もある.(8600 歩)
焼きあご入り だし道楽

4年前に試しに買って,リピータになってしまった.私はつくるほとんどのメニュー(カレーの隠し味にも)に使っている.

それがなくなったので最近徒歩圏内に設置された自販機で購入するため,そして井堀の棚田の定点撮影をするために,夕方散歩へ出かけた.

気温はまだ31℃+なれど,吹く風がその暑さを和らげてくれていた.
帰宅したのはすっかり暗くなった19:20.日の入りがはやくなったものだ.(11600 歩)
8月6日 広島原爆忌

長久手の大賀ハスのことを思い出し,リニモ長久手古戦場駅から北上し,香流川を辿って訪れた.
個人で世話をされている休耕田に咲いている.

いつもだったら7月中に訪れている.今年はやはり遅かった.
でも,幾輪か愛でることができた.(10800 歩)




なんと,NHKで歴史秘話 ウルトラマン ヒストリアを放送.
初代の放送時でも,私は中学生であり,ウルトラマンシリーズにはあまり思い入れはない.

ただ,ほぼ同時期の放送で同じウルトラシリーズの,ウルトラQ(特に206便消滅す)や怪奇大作戦(特に京都買います)には強烈な思い出がある.これらもひょっとしたらどこかでコメントされるかと僅かな期待を持ってみていたが,予想どおりスルーでした.

でも,つい最近のウルトラマンシリーズに,「ウルトラQ・2020年の挑戦」のケムール人が何故か登場していることを知って,これにはいささか驚いた.放送当時(1966年),遠い未来だった2020年は,今では過去のこと.

これを見た後,多少は涼しくなった(それでも32℃だった)ので,定点撮影をかねて猪高緑地散歩172に出かけた.井堀の棚田には,なんとか日没前に到着.(8870 歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第五十二番太山寺さんと第五十三番円明寺さんに参拝.
街中に出かける用事があったので,いつものようにあわせていくつかの趣味案件を同時解決.

今年は,名古屋市交通100周年.それを記念して金山駅近くで,名古屋レール・アーカイブスさん主催の「名古屋市営交通の100年—市電から市バス,そして地下鉄へ—」を見学.

私が名古屋に来たときにはすでに市電は廃止.地下鉄の時代でした.
写真は,現在の藤が丘まで開業した1969年当時の,上社—本郷—藤が丘あたり(地上を走る地下鉄).住宅はほとんどなく,今を思うと隔世の感.

その後,老舗巡りで,中村区の長命うどん本店さん(大正2年創業)へ.
注文したのは,エビ天と長命草の天ぷらをトッピングした「小うちゅうのころ」.
「うちゅう」とは,うどんと中華麺のミックス.小はその小盛り.本店を始めこの系列のお店独特の呼び方.メニューには蕎麦ときしめんもあり,「うそ」,「そちゅう」や「うそちゅう」もよく注文されるようだ.きしめんミックスも可なのかもしれない.
「ころ」は,美濃・尾張地方でしか多分通用しない呼び方で,冷たいかけ汁のこと.(10800 歩)
夕方,定点撮影をかねて1ヶ月ぶりに猪高緑地散歩
蝉の声は聞こえず,代わりにウグイスが綺麗な声で鳴いている.
井堀の棚田には,今年も蜻蛉.
面白いことに,稲の苗などには止まらず,みな排水路の金属やコンクリートのフタの上で羽を広げて休んでいる.涼んでいるのか.(9900歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第五十一番石手寺さんに参拝.
今日は,まいまい東海のツアー「金生山ピラミッド」に参加.
金生山は,日本で最初に化石の記載論文が公表された「日本の古生物学発祥の地」.

現在残っている大部分は,金生山明星輪寺さんの境内.

金生山化石博物館には何度か訪れたが,その奥にこんな絶景があったとは.雨模様を覚悟したが,暑さ以外は絶好の散歩日和でした.(16400 歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十八番西林寺さんに参拝.
FB友達が,猪高緑地を訪れられたようだ.

これに誘われて,そして定点撮影をかねて,夕方いつものコースを辿ってみた.

散歩を始めた10年程前は,赤,白,青の紫陽花がたくさん迎えてくれたが,最近は青い花が所々に咲いているだけ.土壌のPHなどが変わったのか.

ノアザミを見ると,夏が来たなと思う.(11600歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十六番浄瑠璃寺さんと第四十七番八坂寺さんに参拝.
風景などを楽しみながら彷徨うことはあっても,基本的に目的地を設定してする私の散歩.

孫の「くまさんがいる!」とのメッセージが添えられて,昨日送られてきた写真からバンクシーを連想.

そして,気温は高いものの爽やかな風が吹くなか,去年訪れたバンクシー(?)ガードレールを思い出して出かけてみた.

気がつけば,昨年とほぼ同じルートを歩き,ほぼ同じ構図で写していた.何ら進歩していないということか.(10800歩)
鉄分補給をかねて東へ.

愛知高速交通東部丘陵線リニモは,地下走行時を除き無人自動運転なれど,今日は終点の八草まで運転室に2人の乗務員さん.手動運転が必要なときのための訓練,エアー運転かもしれない.

ところで,「八草」駅の案内車内放送,Yaにアクセントがあるので,JAXAに聞こえてしまった.

目的地は,水源公園近くの矢作川.友人の何人かが,昨日訪れられたようだけれど,公共交通機関+徒歩の私は,まずアクセスについて調べる必要があり,思い立ったが吉日とはならず,今日の訪問.


明治用水頭首工の漏水事故のため,それより上流が渇水.水面下にあった明治用水旧頭首工(明治42年竣工)の遺構が顔を出した.
この渇水のため,西三河地方の農家さんへの給水が滞っている.また,水道水や工業用水にも大きな影響が出ている.

このことを思うと,遺構を見に来ることを多少躊躇したが,来てしまった.(11600歩)
寅年にあたり御開扉されている桑實寺(くわのみでら)の秘仏桑峰薬師さんにおまいりした.

自伝によれば,白鳳6年(677年)に天智天皇の勅願によって創建されたとのこと.

お寺は繖山(きぬがさやま)の西麓に位置し,古くにつくられたことが想像できる不揃いの石段を約500段登ると,桑峰薬師さんにお目にかかることができる.これもひとつの修行のようだ.

石段を登り始める頃から一緒になった同年配の方と話をしながら訪れた.

秘仏とはいえ,写すことが許されている,なんともおおらかな仏様.もちろん,フラッシュの使用はだめだろうが.

寅年春の御開扉の最終日午後にもかかわらず,参拝者は数人.

仏様の前に座り,靜かな時を過ごしたのは久しぶりだった.(22400歩)

仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十五番岩屋寺さんに参拝.
散歩には帽子と日焼け止めが必須となった.すでに,かなり焼けているけれど.

壬申の乱は不破関,それに関ヶ原の戦い.いずれも岐阜県西部.地形的ボトルネックの所為なのでしょう.

もうひとつの大きな戦い 承久の乱の口火となった二つの合戦も岐阜県中部が舞台.これは,木曽川があったからなのでしょう.


そのうち大井戸渡の戦い跡をたずねてみた.
地名から判るように,木曽川では比較的浅瀬が多い箇所だったらしく,東山道や中山道のころから渡し場があった所.合戦の場になった理由も納得.


仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十四番大宝寺さんに参拝.(20100歩)
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