私的備忘録でもあります
鳥照
名古屋コーチンと奥三河どりの専門店
以前にも書いたことがあるが,結婚して最初に住んだアパートの近くにあって,クリスマスになるとここで芳ばしい骨付きもも肉を買うのが,ささやかな贅沢だった.
当地に移っても,クリスマスになると買いに訪れていたが,ある年「お店を閉めたみたい」と配偶者.残念に思っていた.
昨日,ある記事を読んでいて,このお店が少しだけ離れたところで営業を続けていることを知った.懐かしい.
そこで今日の帰り,大きく寄り道をして訪れてみた.お店の人に聞いてみると,ここに移転したのは6年前とのこと.そして,赤い店の看板は昔のままだった.
昔と同じ香りのタレで焼いた骨付きもも肉.
から揚げとネギマ,肉串も購入.
串は近くの公園で楽しんだ.
そして,今宵は下ごしらえのしてあった魚に代わり,名古屋コーチンと奥三河どりが主菜に.
一言あるかと恐れたが,すんなりとこの提案は受け入れられた.(13700 歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第七十八番郷照寺さんに参拝.
名古屋コーチンと奥三河どりの専門店
当地に移っても,クリスマスになると買いに訪れていたが,ある年「お店を閉めたみたい」と配偶者.残念に思っていた.
昨日,ある記事を読んでいて,このお店が少しだけ離れたところで営業を続けていることを知った.懐かしい.
そこで今日の帰り,大きく寄り道をして訪れてみた.お店の人に聞いてみると,ここに移転したのは6年前とのこと.そして,赤い店の看板は昔のままだった.
から揚げとネギマ,肉串も購入.
串は近くの公園で楽しんだ.
そして,今宵は下ごしらえのしてあった魚に代わり,名古屋コーチンと奥三河どりが主菜に.
一言あるかと恐れたが,すんなりとこの提案は受け入れられた.(13700 歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第七十八番郷照寺さんに参拝.
如月といえども春の予感.
今頃になると、山菜や春野菜のことが気になり始める.そこで,昨年同様,まずはスーパー巡り.
昨年購入したお店をふくめた2店舗は空振り.夕方近くだったので売り切れていたのかも.
だめもとで,別の2店舗も訪れてみたらありました.
菜の花は徳島県産,ふきのとうは愛知県産,うるいは島根県産,そして山うどは青森県から.
結局,予定外の長距離散歩になった.これもまた良し.
夕食の準備の邪魔をしてはいけないので,今宵は菜の花のからし和えのみ.ほろ苦さと辛味の組合せいいね.大辛口の百十郎 生誕 新酒初しぼり も楽しんだ.
明日は節分.(12900 歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第七十一番弥生寺さん,第七十二番曼荼羅寺さんと第七十三番出釈迦寺さんに参拝.
今頃になると、山菜や春野菜のことが気になり始める.そこで,昨年同様,まずはスーパー巡り.
だめもとで,別の2店舗も訪れてみたらありました.
菜の花は徳島県産,ふきのとうは愛知県産,うるいは島根県産,そして山うどは青森県から.
結局,予定外の長距離散歩になった.これもまた良し.
夕食の準備の邪魔をしてはいけないので,今宵は菜の花のからし和えのみ.ほろ苦さと辛味の組合せいいね.大辛口の百十郎 生誕 新酒初しぼり も楽しんだ.
明日は節分.(12900 歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第七十一番弥生寺さん,第七十二番曼荼羅寺さんと第七十三番出釈迦寺さんに参拝.
私は,へそ曲がりなので,ミシュラン一つ星,行列が絶えないとか予約必須なんていうことが売りのお店,特にラーメン屋さんにはあえて近寄らないことにしている.
それでも,気になるお店はある訳で,例えば美味しそうだけれどアクセス状況から,行くことはない(行けない)だろうなと思うところなど.このあたりは,何となく遠距離恋愛感情と似ているかも知れない.
私にとってのそんなお店のいくつかと,定期的にコラボしているのが,らあめん花月嵐.
昨年は山形の琴平荘の中華そばを,そして今は湯河原の飯田商店の主人監修「シン・ゲンコツらあめん」を提供している.こういったお店と次々とラボできているということは,いろんな意味で信用されているからだと思う.しかし,残念ながら私が住んでいるあたりには出店していない.
ホテル近くに,らあめん花月嵐があったので,昨日訪れてみた.
お店の説明によると,スープは豚肉と豚骨だけをじっくり煮込んだシンプルなつくりで,タレも油も加えていないそうだ.
きれいなスープで,トッピングはチャーシューとネギのみ.
豚がベースなのに味は何となくすまし汁を連想させる.そして,粒山椒が良いアクセントになっている.
ちょっと想像できなかった味.
国産小麦100%の特製麺も売りらしいが,私にとってはスープを楽しむラーメンで,塩分を気にしつつ飲み干してしまった.
ごちそうさまでした.
それでも,気になるお店はある訳で,例えば美味しそうだけれどアクセス状況から,行くことはない(行けない)だろうなと思うところなど.このあたりは,何となく遠距離恋愛感情と似ているかも知れない.
昨年は山形の琴平荘の中華そばを,そして今は湯河原の飯田商店の主人監修「シン・ゲンコツらあめん」を提供している.こういったお店と次々とラボできているということは,いろんな意味で信用されているからだと思う.しかし,残念ながら私が住んでいるあたりには出店していない.
ホテル近くに,らあめん花月嵐があったので,昨日訪れてみた.
お店の説明によると,スープは豚肉と豚骨だけをじっくり煮込んだシンプルなつくりで,タレも油も加えていないそうだ.
きれいなスープで,トッピングはチャーシューとネギのみ.
豚がベースなのに味は何となくすまし汁を連想させる.そして,粒山椒が良いアクセントになっている.
ちょっと想像できなかった味.
国産小麦100%の特製麺も売りらしいが,私にとってはスープを楽しむラーメンで,塩分を気にしつつ飲み干してしまった.
ごちそうさまでした.
昔,長野市内の居酒屋で,キノコの天ぷらを頼んだとき入荷がなく,代わりにこれはいかがですかと,出てきたのが野沢菜の天ぷら.私の好み.
それ以来,時々思い出してはつくって酒の肴にしていた. しかし,最近はなかなか配偶者の視線が厳しい.油分と塩分の取り過ぎを心配してのことだとは理解しているが,たまには食べたい.
私の一方的な妥協策として,この秋発売になった「焼き天ぷらの素」を,自宅から徒歩圏内を巡り6店舗目でやっとみつけて購入したのは,1.5ヶ月前.
冷蔵庫で眠っていた野沢菜も賞味期限が切れて,ほどよく酸っぱくなった頃.
という訳で,お昼は,野沢菜の天ぷらそば.汁は,相もかわらず,あごだしと昆布だしの合わせ醤油.
私の一方的な妥協策として,この秋発売になった「焼き天ぷらの素」を,自宅から徒歩圏内を巡り6店舗目でやっとみつけて購入したのは,1.5ヶ月前.
冷蔵庫で眠っていた野沢菜も賞味期限が切れて,ほどよく酸っぱくなった頃.
という訳で,お昼は,野沢菜の天ぷらそば.汁は,相もかわらず,あごだしと昆布だしの合わせ醤油.
今年は,鉄道開業150周年.
偶然だけれど,それと歩調を合わせるように,とくにJR東日本管内では,新幹線〇〇周年のポスターが目につく:東北(大宮—盛岡)・上越40,山形(東京—山形)30,そして秋田・北陸(高崎—長野)25.さらにJR西日本管内では,山陽新幹線(新大阪—岡山)が50周年.
JR東海の東海道新幹線は,特に区切りの周年ではないけれど,これらの周年にあわせたのか,復刻版などを出している.
それらのリストを見ていて,食堂車が連結されていた時代のカレーのことを思い出した.
S教授と一緒に東京出張の際,指定席をとられないので,「満席だったらどうするんですか」と聞いたところ,「食堂車でカレーでも食べて,時間を潰せばいいんだよ(大意)」との返事.その時,カレーを食べたかどうかは覚えていないが,何となく懐かしくなった.
そこで,「復刻 新幹線懐かしのビーフカレー」を購入.
ネットで調べてみると,1992年までは,帝国ホテル列車食堂・都ホテル列車食堂・日本食堂・ビュフェとうきょうの4社が営業していた.しかし,1979年当時主なメニューとしてカレーが載っているのは,帝国ホテル列車食堂と日本食堂のみ.ということは,列車によってはカレーを食べられないこともあったのか.ちょっと不思議な気もするが.
と思って,検索していたら,東海道新幹線の「ひかり」で食堂車の営業が始まったのは1974年(それまでは軽食のビュフェ車のみ).そして,カレーの本格的提供は東海道・山陽新幹線が全線開通した1975年からだったことが判明.
カレーの新幹線デビューは意外に遅かった.ちなみに,1975年当時,特製カレーライスは500円.そして,今回購入したルーは594円(8%税込み)でした.
カプサイシンに敏感な私であることを考慮しても,結構辛いと思う.これだと,新幹線乗車のお子様は無理だ.
復刻カレーは,日本食堂の流れをくむ,JR東海パッセンジャーズ(旧ジェイダイナー東海)監修.
偶然だけれど,それと歩調を合わせるように,とくにJR東日本管内では,新幹線〇〇周年のポスターが目につく:東北(大宮—盛岡)・上越40,山形(東京—山形)30,そして秋田・北陸(高崎—長野)25.さらにJR西日本管内では,山陽新幹線(新大阪—岡山)が50周年.
JR東海の東海道新幹線は,特に区切りの周年ではないけれど,これらの周年にあわせたのか,復刻版などを出している.
それらのリストを見ていて,食堂車が連結されていた時代のカレーのことを思い出した.
S教授と一緒に東京出張の際,指定席をとられないので,「満席だったらどうするんですか」と聞いたところ,「食堂車でカレーでも食べて,時間を潰せばいいんだよ(大意)」との返事.その時,カレーを食べたかどうかは覚えていないが,何となく懐かしくなった.
ネットで調べてみると,1992年までは,帝国ホテル列車食堂・都ホテル列車食堂・日本食堂・ビュフェとうきょうの4社が営業していた.しかし,1979年当時主なメニューとしてカレーが載っているのは,帝国ホテル列車食堂と日本食堂のみ.ということは,列車によってはカレーを食べられないこともあったのか.ちょっと不思議な気もするが.
と思って,検索していたら,東海道新幹線の「ひかり」で食堂車の営業が始まったのは1974年(それまでは軽食のビュフェ車のみ).そして,カレーの本格的提供は東海道・山陽新幹線が全線開通した1975年からだったことが判明.
カレーの新幹線デビューは意外に遅かった.ちなみに,1975年当時,特製カレーライスは500円.そして,今回購入したルーは594円(8%税込み)でした.
カプサイシンに敏感な私であることを考慮しても,結構辛いと思う.これだと,新幹線乗車のお子様は無理だ.
復刻カレーは,日本食堂の流れをくむ,JR東海パッセンジャーズ(旧ジェイダイナー東海)監修.