私的備忘録でもあります
三井寺のあと,京阪石山坂本線の電車で石山寺へ.

伊勢神宮の参宮鉄道や成田山新勝寺の成田鉄道のように,この電車も,三井寺や石山寺の参拝用に最初は敷設されたのかも.

石山寺のご本尊如意輪観世音菩薩は,勅封秘仏.約5 mの巨大な仏さんなれど,穏やかな表情は,慈悲の仏さんに相応しい.

今回は,天皇即位の慶事にあわせて開扉.三十三年毎の次の開扉は多分29年後.

石山寺の境内には,至るところに珪灰石の岩塊.如意輪観音さんも珪灰石の上にお座りになっていた.
私が特に好きな仏様,如意輪観世音菩薩と勢至菩薩.

勢至菩薩さんは,大学時代に興福寺で小さな立像にお目にかかって以来のファンです.私の干支(午)の守り本尊であることを,後から知りました.これも何かのご縁か.

如意輪観音さん,頬に手を添えた表情がなんとも言えず好きです.

三井寺の如意輪観音坐像.本来は,観音菩薩が33の姿に化身することにちなんで,三十三年に一度の開帳.ただ,慶事があると特別に開帳され,今回は6年前の宗祖智証大師の生誕1200年慶讃大法会以来.

時々小雨の降る三井寺でお会いしてきました.
参拝者は少なく,ゆったりとした時間を過ごしました.
次の三十三年毎の開帳は,24年後なのか.(16200)
こんな富士山もいいな.(8400)






コロナウイルスを避けて,午後は雑踏ではなく,なるべく綺麗な空気の地へと言うことで(言い訳),瑞巌寺と松島へ.
瑞巌寺の本堂は歴史を感じて良かったけれど,それにもまして石窟群は素晴らしかった.
石窟を眺めていると,私の田舎の隣町にある谷汲山華厳寺十一面観音様が.華厳寺は西国三十三ヵ所結願のお寺.観音順拝所でした.


夜は,東北大学の人たちとちょっとアルコール消毒.その中にひとりが,先日”チコちゃんに叱られる”に出演していたIさん.何の話題だったのか聞いたら,やはり石灰岩の話でした.

さて明日からはシンポジウム(14800)
早朝,高松城趾を散策.別名玉藻城.

三大水城のひとつで,海水をお堀に引き入れている.一緒に稚魚として入ってきた鯛などが大きくなって泳いでいる.

石垣は,花こう岩と讃岐石.

帰路は,高松港→小豆島・土庄港→新岡山港→JR岡山駅→名古屋
こんなコースが可能だとは,出かけるまで気がつかなかった.

ただし,小豆島の滞在時間約60分で土庄港周辺をウロウロしたのみ.今度ゆっくりと訪れてみたい.
屋島もきれいに見えた.(18700)
初めて乗ったのは1975年4月,卒論の調査で別子を訪れた時.
以来,毎年のように利用していた宇高連絡船.

1988年4月に廃止.その後,宇高航路に四国フェリーが就航していたけれど,それも12月16日をもって運行休止になってしまう.そこで,久しぶりの衝動旅.宇高航路へ.

意外に,宇高連絡船の遺構は残っていない.
宇野港には,宇高連絡船第二岸壁の一部と昭和八年宇野港大改修工事の際に沈典された基石(その後,昭和五十年の浚渫作業中に偶然引き揚げられた).
高松港には,讃岐丸の錨.それに当時のレール.
乗船中に,連絡船うどんを食べた.

ところで,1988年の廃止直前に乗った時、特別番組の前撮りに遭遇した.乗客は皆テープを渡され,別れのシーンを演出.
その時の写真はこちら

夜は,ホテルで紹介してもらった,瀬戸内家 良ちゃん で一杯.
蛸の煮付けと伊吹島産じゃこ.地酒の国重.
美味なり.(16200)
奈良・飛鳥の旅の最終日.

まず,近鉄飛鳥駅からバスでキトラ古墳へ.
そして帰り道は晩秋?初冬?の青空の下の散歩を楽しみながら,檜隈寺跡/於美阿志神社経由で高松塚古墳・高松塚壁画館へ,その後,欽明天皇陵に隣接する吉備姫王墓内にある猿石を訪れました.
檜隈寺は,渡来人東漢氏縁の寺.石塔婆は平安時代に造られたものですが,なんとなく朝鮮系仏塔の雰囲気が.

飛鳥駅から橿原神宮前駅に戻り,橿原神宮を参拝.
名古屋への帰路につきました.

奈良市内を訪れることは出来ませんでしたが,飛鳥の地,室生寺と長谷寺,そして奈良の美味しい食を堪能した3日間でした.(20800)
今日は,

女人高野 室生寺
花の御寺 長谷寺
大野寺弥勒磨崖仏

時々小雨降る空模様,しっとりとした境内の散策を楽しみました.

万歩計は19900と意外と少ない.なれど,石段の登り降りが多く,ふくらはぎが少し痛い.

当初予定していた午後からの「ぶら奈良市内」は,また今度.(19900)

今日は,青空の下,明日香をサイクリング
橿原神宮前駅—雷丘–飛鳥資料館–甘樫丘–飛鳥水落遺跡–石神遺跡–明日香村埋蔵文化財展示室ー飛鳥寺–蘇我入鹿首塚–亀形石造物–酒船石–飛鳥板蓋宮跡–石舞台古墳–橘寺–川原寺跡–亀石–天武・持統天皇陵–鬼の雪隠・俎–橿原神宮前駅の22.5 km.
高松塚古墳とキトラ古墳は日没が近くなって,訪れることができなかった.今回の旅行中に訪れたい.
甘樫丘から見た大和三山綺麗でした.
前回明日香を訪れたのは,1972/11/24-26.47年ぶり.
のんびりとした晩秋の田園風景は変わっていない気がしますが,多くの遺跡の周りはすっかり整備されて様変わりでした.(13600)
今日の散歩は,大垣宿から中山道追分(垂井)の13.9 km.

宮宿・東海道追分→名古屋宿→(庄内川,新川,五条川)→清州宿→稲葉宿→萩原宿→起宿→(木曽川)→(境川,長良川)→墨俣宿→(揖斐川)→大垣宿→中山道追分の美濃路(両街道を結ぶ脇往還)を,これで完歩.

仮想「東海道」,「中山道」そして「おくのほそ道」と称して歩いてきましたが,実際に街道を歩き通したのは「美濃路」が初めて.
中山道追分に到着したときの達成感,やはり今までとは違いました.

さて,次は何処を歩きましょうか.(26200)
大学時代の友人のお墓参りのため,9名が函館の地に集まりました.

還暦を過ぎた頃にはと話していたのですが,それから5年後にやっと約束が果たせました.
お墓参りをしてから五稜郭,そして函館山からの夜景.(13800)





新山口駅1番線に停車中の山口線下り普通車中より.

山陽本線上り岩国行き普通(たぶん)が6番線に停車しているので8番線の駅名標が見通せないのが残念

松本清張「点と線」東京駅13番線の4分間を思い出した.

新山口駅,かつての小郡駅には,SL時代の名残(といってもまだ現役)の転車台がある.

昨年の冬,格安のチケット「おとなびパス」を使って,中国地方一周の旅をしたとき,横を通過して思い出したものの時すでに遅し.

今回,湯田温泉への行き帰りに,途中下車をして訪れた.
放射状に停車している列車が美しい.









帰り道,山口・湯田温泉駅で列車を待っている間,足湯に浸かっていた.
その時の高齢の女性との会話.
言葉使いはともかく,内容は以下のよう.

女性:何処迄行くの.

私:名古屋まで帰ります.

いろいろ会話が続いて

私:7泊8日の旅行です.

女性:湯田温泉にそんなに.
私:いえ,ここの前は博多でした.
女性:ああ,転々とされているのね.

私は寅さんのようだと思われたのか.

完全には間違いと言えない.ちょっと嬉しくなった
そんな旅もしてみたい.(14900)

旅に出て6日目.
座学と酒と移動の繰り返しで,体がなまってきた.そこで午前中は湯田温泉からとなり駅の山口まで散歩.両駅間は2.4kmなれど,実歩行距離は12.3 kmだった.

再建されたザビエル記念堂.ステンドグラスとパイプオルガンの音.美しかった.
青空を背景にした瑠璃光寺の国宝五重塔,見飽きることはなかった.

山頭火や西田幾多郎が一時期住んでいたことは知らなかった.

西の京山口の初秋を楽しんだ.(22000)

今日から,仮想「西国巡礼」に出かけました.
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
12
19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
最新CM
[03/14 SiO2]
[03/13 うめきち]
[06/20 SiO2]
[06/19 241]
[12/30 SiO2]
カウンター
ブログ内検索
最新TB

Copyright © [ つれづれ21 (Quartz) ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート
Special Thanks :
Commercial message :