私的備忘録でもあります
いつもより早い時間に、江戸詰から帰宅中。

ちょっと赤富士。
江戸詰 後泊の朝,おとなしく帰ろうと地下鉄に乗っている時,悪魔の囁きなのか天使からのメッセージなのか,急にネットで読んだ記事のことを思い出した.

そうだ,京急川崎駅行こう.
発車時刻や行き先を示すパタパタ案内板(調べると正式名称は反転フラップ式案内表示機)で,唯一京浜急行で残っているものが,2月中にLEDに替わるらしい.

次回の江戸詰の頃に,まだ残っているかどうかは不明.全国的にもほとんど残っていないらしい.


今しかないか.1時間あれば往復できるだろうとJRに乗換え,一路川崎へ.
同じように撮している人,何人かいました.何と物好きなと思いながら来たけれど,自分だけではなかった.

帰りは,京浜急行で品川まで.こんな時か羽田空港へ行く用事でもないと,京急品川駅のホームにたつことはない.ついでに京浜急行本線の0キロポストを探すとありました.

京急川崎駅には,大師線の0キロポストがあるはずと気がついたけれど,後の祭り.
今度,訪れる縁があったら探してみよう.

ところで,このパタパタ表示機で,ザ・ベストテンを思い出すのは私だけだろうか.
先日の江戸詰前泊を利用した江戸ぶらり.

ホテル近くの半蔵門—三宅坂—桜田門の内堀通りあたり.
日本水準原点標庫を見に,国会前庭を訪ねた.

このあたり,元々は加藤清正の屋敷だったところで,その後彦根藩井伊氏の上屋敷となり,大老井伊直弼は,ここから内堀沿いを桜田門に向かう途中で桜田門の変に遭ったとのこと.

説明板を読んで,この水準原点のもとになった水位観測所が,隅田川沿い霊岸島にあることを知って.足を延ばしてみた.
残念ながら,護岸工事中で近づくことはできなかったが,船とのコラボの気に入ったシーンを写すことができた.(16400歩)


いわゆる東海道左富士

天候に恵まれた時,上り新幹線の場合,安部川を渡る少し手前で,車窓右側前方に一瞬富士山を見ることができる.

やっと、スッキリとした姿を写すことができた.

江戸詰の度に狙っていた、左富士(上り新幹線車中からだと右富士)。安倍川の手前より。





江戸詰最中の隙間時間を見つけて東京ぶらり.

1.東京駅5番線・6番線ホーム(旧第二乗降場)に,開業当時から屋根を支えていた装飾付き架線柱が現在は2本保存されている.ネット情報で,そのことを知って訪れてみた.架線柱の下の方に,「明治四十一年」と記されている.これは,建設工事が本格化した年(1908年).


2.明治5年(1872年)9月の新橋(汐留)—横浜(桜木町)間開通に先立つ5月に,品川—横浜間が仮開業.そのことを記した品川駅創業記念碑が高輪口にある.裏側には,鉄道創業時の時刻表と賃金(となっている)の表が刻まれている.運行は朝夕各1往復.上等賃金は壹圓五拾錢.





3.品川駅もうひとつのポスト.コンコースに設置されている,ポスト同士をかけた郵便ポスト.写真を撮ろうとしている間にも,投函する人がひっきりなしに訪れていた.東京駅から6,780 mの表示も.この数字の並び,偶然なんだろうけれど面白い.

江戸詰の間,時間があったので(翻訳:時間を無理矢理作って),かつての提灯殺しガード,今はおばけトンネルと呼ばれている高輪橋架道橋と最初の鉄道新橋―横浜間の遺構「高輪築堤」の発掘現場を訪れた.

おばけトンネルは,頭を下げて通らなければならないことはかつてと同じかもしれないが(私がここを訪れるのは初めて),道の左右もコンクリートで完全に覆われ,「高輪築堤」周囲の運河の名残は全く見ることができなくなってしまっている.



築堤の発掘現場もどこかで見られることを期待したが,ほぼ完全にシートなどで覆われ,一ヶ所から僅かに確認できたのみ.
山手線の車中からでも視線が低いので,手前の工事現場が邪魔になって遺構を見ることは全く無理.

その後,唯一の可能性にかけて,京浜東北線が山手線とクロスして高架になっている瞬間を狙ったが,夕方の逆光でよくわからなかった.残念.
・最初に0キロポストを写したのは2016/02/06.この時は,まだ特別思い入れはありませんでした.養老鉄道養老線@大垣駅

・東京駅でゼロキロポスト巡りをしました.2021/08/17 and 2121/08/31

・飯田線@豊橋駅 2021/09/07

以上をアルバム「0キロポストの旅」にしました.
ご覧ください
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これからも順次アップします.
ひっそりと2つの新幹線開通記念碑

1.新幹線の父 「十河信二総裁のレリーフ」
当初は,頭にハトが糞をかけるだけだと固辞されていたようだ.
東海道新幹線18・19番ホーム有楽町駅寄り.




2.「この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」
多くの人が行き交う東海道新幹線18・19番ホーム下(ホーム中ほどの階段を降りたところ).ほとんどの人が,気付いていないかも.




東京駅100年の遺産
大正3年(1914年)開業当時の赤煉瓦積みが,6番ホーム下に僅かに残っている.ネットを見ていて知った(7900歩).
これでCOVID-19対策をして、これに乗って、これを食べて、車窓を眺めていました。


これまでなら、after 5は、たそがれ時江戸散歩か、居酒屋へ直行だったのですが、それもできず。なんの楽しみもない。

江戸詰のモチベーションをあげるために、ちょっとした遊びです。

N700S初乗車
マスクは、この車両のフィルターをつくっている会社とJR東海とのコラボ製品。駅員さん、気がついてくれたみたいだ。
お弁当の富士山の雪は、しらす。




三井寺のあと,京阪石山坂本線の電車で石山寺へ.

伊勢神宮の参宮鉄道や成田山新勝寺の成田鉄道のように,この電車も,三井寺や石山寺の参拝用に最初は敷設されたのかも.

石山寺のご本尊如意輪観世音菩薩は,勅封秘仏.約5 mの巨大な仏さんなれど,穏やかな表情は,慈悲の仏さんに相応しい.

今回は,天皇即位の慶事にあわせて開扉.三十三年毎の次の開扉は多分29年後.

石山寺の境内には,至るところに珪灰石の岩塊.如意輪観音さんも珪灰石の上にお座りになっていた.
私が特に好きな仏様,如意輪観世音菩薩と勢至菩薩.

勢至菩薩さんは,大学時代に興福寺で小さな立像にお目にかかって以来のファンです.私の干支(午)の守り本尊であることを,後から知りました.これも何かのご縁か.

如意輪観音さん,頬に手を添えた表情がなんとも言えず好きです.

三井寺の如意輪観音坐像.本来は,観音菩薩が33の姿に化身することにちなんで,三十三年に一度の開帳.ただ,慶事があると特別に開帳され,今回は6年前の宗祖智証大師の生誕1200年慶讃大法会以来.

時々小雨の降る三井寺でお会いしてきました.
参拝者は少なく,ゆったりとした時間を過ごしました.
次の三十三年毎の開帳は,24年後なのか.(16200)
こんな富士山もいいな.(8400)






コロナウイルスを避けて,午後は雑踏ではなく,なるべく綺麗な空気の地へと言うことで(言い訳),瑞巌寺と松島へ.
瑞巌寺の本堂は歴史を感じて良かったけれど,それにもまして石窟群は素晴らしかった.
石窟を眺めていると,私の田舎の隣町にある谷汲山華厳寺十一面観音様が.華厳寺は西国三十三ヵ所結願のお寺.観音順拝所でした.


夜は,東北大学の人たちとちょっとアルコール消毒.その中にひとりが,先日”チコちゃんに叱られる”に出演していたIさん.何の話題だったのか聞いたら,やはり石灰岩の話でした.

さて明日からはシンポジウム(14800)
早朝,高松城趾を散策.別名玉藻城.

三大水城のひとつで,海水をお堀に引き入れている.一緒に稚魚として入ってきた鯛などが大きくなって泳いでいる.

石垣は,花こう岩と讃岐石.

帰路は,高松港→小豆島・土庄港→新岡山港→JR岡山駅→名古屋
こんなコースが可能だとは,出かけるまで気がつかなかった.

ただし,小豆島の滞在時間約60分で土庄港周辺をウロウロしたのみ.今度ゆっくりと訪れてみたい.
屋島もきれいに見えた.(18700)
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