私的備忘録でもあります
FB友達のSさんのご自宅の特別公開があり,幸運にも当選しておじゃました.

主屋は庄内川の自然堤防上を辿る美濃路に面して建てられており,近世から近代にかけての過渡的名古屋町屋(町家?)の特徴を保存する登録有形文化財.

Sさんから詳しい説明をうかがった後,八百喜で美味しい昼食.
ご一緒させていただいた皆さん,ありがとうございました.


そのまま帰るのはもったいないので,名古屋駅まで戻り一路西へ.
1934年供用開始の伊勢大橋に残る戦争の痕跡,第二次世界大戦が終わる直前(1945/07/30)の米軍による機銃掃射痕と思われるもの,を見るために.(16000 歩)
売り家と唐様で書く三代目

今日も祖父と父が建てた田舎の家の片付け.
放蕩息子ではないつもりですが,やはり私は三代目.

とにかく,全集と食器が多い.それに,各種書類も.

写真の全集は,いずれも私が生まれた年に発刊が始まったもの.
将来,私が読むことを思って購入してくれたのか.
少なくとも,世界少年少女文学全集はそうだと思う.読み通していない意味では,その期待を裏切ってしまった.

ティーカップなどは,いかにも母の好みの色と絵柄.

やむを得ず,全て廃棄.ごめんなさい.(9500 歩)
塞翁が馬

快晴

今日はドクターイエロー下りのぞみの運行予想日
遠くからではよくわからないが,予定のT5編成ではなくT4編成らしい.昨日,イベントドクターが走ったので,その影響か.

何度かおじゃましたことのあるビルのオーナーさんの了解を得て,屋上からの撮影.

ドクターは定刻運行のようだったが,気のせいか上り新幹線のダイヤが何となく変.そのためか,当初予定した絵は撮れなかった.しかし,それ以上に嬉しい中川運河橋梁上で普通編成とすれ違う(正確にはすれ違った)シーンに出会えた.ラッキー

予定していなかった絵が撮れて,驚いて嬉しくなった帰り道.

途中下車をして,伏見町POPEYEで超遅い昼食.
この時間帯でも5名待ち.すごい人気だね.女性や外国からの人々が多い.結果,会話が少々騒がしい.スタッフは皆若いし,まあお店を元気にしているのか.

前回売り切れか仕入れがなかったかで,楽しむことができなかったレアアジフライ.美味しいと思う.

スタッフさんが,今日はレアアジフライありますと.覚えていてくれたんだ.嬉しいね.
その他の感想は,前回のレアサーモンフライと同じ.

ごちそうさまでした(10200 歩)
夏以降,田舎の家に残されたものの大部分を,泣く泣くクリーンセンターに移送中.

その道の途中に,縄文・弥生時代の九合洞窟遺跡があることを思いだし,今日立ち寄ってみた.このあたり,美濃帯の石灰岩体が分布しており,そこに穿かれた自然洞窟.

中学生の時,フズリナ石灰岩を採取するため.山の麓までは自転車で行き,そのあと歩いてしか通ることができない峠越えの山道を辿り訪れて以来だから,約55年ぶりとなる.
あの石灰岩試料はどこへ行ってしまったのか.

今では,トンネルで抜ける立派な道路(なんと二桁県道)ができ隔世の感.地形図の変遷を辿ると,この道が開通したのは 2000年以降らしい.

洞窟はもうすこし広いと思っていた.記憶は容易に改変される.(6200 歩)

バスを降りて南の空を見ると六日月


今日のもうひとつの目的は,松重閘門とともにある旧松重ポンプ所の一般公開に参加すること.

帰り道に,中川運河ギャラリーで開催の『中川運河の中側 - ものづくりのナカガワ・360度映像で共有する中川運河の工場』を拝見.会場でKam*さんをお見かけし,声をかけようとしたが何処かへ行かれた.

さらに,椿町線のさるポイントを訪ねるつもりだったが,笹島線から あおなみ線,関西本線,近鉄名古屋本線を横断して椿町線へ向かう徒歩ルートがみつからず,今日は断念.

名古屋駅の美濃味匠で中京テレビ『開局55周年企画』「うなぎむすび」をお土産の購入して帰宅.
久しぶりの散歩でした.(15900  歩)
今日は中川運河でドクターイエロー

はじめは,松重閘門を窓にしてドクターを写すつもりでいた.
しかし,どんなフレームになるのかきっちりとは予想がつかなかったことと,新幹線中川運河橋梁は,名駅通り,名鉄名古屋本線,JR中央線とJR東海道線の4橋梁を挾んで反対側.しかも今日は下りドクターで,撮影ポイントから最も遠くなるため,どんな絵になるか一抹の不安.

そんなリスクを避けるため,急遽松重閘門ポイントとは反対側の柳原橋からの撮影に変更.

そして,中川運河に映るドクターに加えて.予想もしなかった絵を撮ることができた.満足.

松重閘門からだとかなり遠くなるが,絵にならないことはなさそう.次は,ここからチャレンジしてみよう.
一昨日届いた18年熟成焼酎 虎胤

昨夜は晩酌をしながら,18年前頃はなにをやっていただろうかと記憶を辿る.

定年退職まで10余年,そんな歳になっても依然としてS先生というお釈迦様の手の内で踊っているという思いを払拭しきれないでいた.そして,それまでとは違うなにか一仕事をしたいとあがいていた.

2004年の国立大学法人化を控えた最後の年,事務の人から「今度の概算要求,最後のチャンスだから何とか通したいけれど,ダメだったらゴメン」といったことを告げらた.結果,幸運にも導入できた顕微ラマン分光装置.

岩石学分野での利用が始まっていたその装置.初めは相の同定などありきたりの利用をしていたが面白くない.

そんな2005年初夏,網膜剥離で2回通算4週間の手術入院.あまり動いてはいけないので,ベットで横になっていろんなことを考えていた.そして,机上の空論になるかもしれないがと思い付いたのが,ラマンシフトを地質圧力計として使えないかというアイデア.

当然の如く,予想したようにはならないことも多かったけれど,理論的解釈は当時熊本大学のSさんの助けを借りて,2007年に石英—ざくろ石ラマン地質圧力計を提案.年あたりの平均引用回数が最も多い私の論文となった.そして,その後研究室のKさんがより厳密な定量化をしてくれた.
注文していたお酒が,期せずして昨日二箇所から届いた.

一週間ほど前,娘たちの部屋の奥から配偶者が見つけてきた陸前高田酔仙酒造「雪っこ」の一合缶.珍しいものを買いそうなのは次女だが,お酒となると長女か.
西暦なのか和暦なのかは判らないが,14年1月の製造.まさか22年前ではないだろうけれど,いずれにしても活性原酒とあるのでやむなく廃棄したが,気になる.
調べてみると,3.11で甚大な被害を受け,今は大船渡市に移った蔵元.そして,注文したのは三日前.

もう1本は,長野県佐久市千曲錦酒造の「虎胤」.韃靼そば焼酎原酒を18年オーク樽熟成したもの.武田二十四将のひとりとされることもある,原虎胤の名を冠している.

私は実験室で絶対にコントロールできない時の流れに惹かれる.そして3ヶ月ほど前に注文.

さて,今宵はどちらを楽しもうか.
母が亡くなって1年.今日は祥月命日.

仏前にはお好み焼きを供えてほしいと言っていたので,近くのコンビニで見かけた中ではいちばん豪華な広島風を購入.さて,美味しく食べてくれるか.

田舎の家の整理をしていて,必要かもしれない資料と一緒に持ち帰ったクリアファイルの中に,四つ葉のクローバー.今朝気が付いた.
採取しただろう本人は多分忘れているから,これもお供えしよう.
夕暮れ時
見事な絹雲もしくは絹層雲(?) わずかの間にうろこ雲に変わっていった
天気は下り坂か

今日は,珍しいナンバーを目撃した
江東,熊本,諏訪,庄内

追:その後,気象庁と気象大学校に勤務していた高校の後輩のコメントにより,絹積雲と巻雲と判明.
母の一周忌と父の二十三回忌法要で徳源寺さんへ
空も木々もようやく秋の気配
ドクターイエロー@関ヶ原山中の跨線橋 塞翁が馬

1ヶ月ほど前,関ヶ原の十九女池で出会った人から勧められたポイント.7月に山中トンネルから飛びだすドクターを写しに行った際に当たりをつけて,航空写真でアクセスを確認していたところでもあった.

ねらいは,下りドクターが山中トンネルから飛びだし,東海道本線をアンダーパスする絵.

前回確認した通過時間13:46を過ぎてもドクターは現れず.7分ほどカメラを構えていたがいったん諦める(ああ,疲れた).

こんな時,頼りになるのがドクターのリアルタイム目撃情報サイト.
どうやら東京駅発が25分以上遅れ,西に向かうに従い少しずつ伸びている模様.こんなことは珍しいというか,私は初めての経験.

通過予想時間が多少不確定となったので,ドキドキしながらカメラを構え直す.結局,ポイント通過時刻は,約29分遅れの14:15だった.

その間に,予定していなかった面白い絵も撮れ 塞翁が馬.(15800 歩)

昨日は,東海道新幹線開業60周年記念ツアー「JR東海 浜松工場へGO」に参加

通常は大井車両基地に留置されている,ドクターイエローT4編成とT5編成が,この催しのために移動してきた.また,トラバーサーによる車両移動も.JR東海さん,やってくれるね.






T4編成は今年度いっぱいには引退.T5編成とのコラボが見られるのは,おそらく今回が最後だった.
ただ,偶然に聞いた運行ダイヤに関係した人の話によると,引退前のT4編成の運行ダイヤはまだ正式には決まっていないようだ.

広い工場内をかなり自由に歩き回り見学することができた.

ところで,引込み線から工場内への車両の運転は,営業路線運転士とは別資格の構内運転士がおこなっており,本線からの分岐時に交代が行われる.このための時間や,過密ダイヤの新幹線の間を縫って,帰りには引上げ線から短い距離ながら上り線を経由して下り線へ合流する必要があり(レールの配置からの推測です),工場を出発したのは17:24だったのに下り本線を走り出したのは18:03であった.(12300 歩)
パソコン前に陣取り,10時打ちならぬ14時打ちをして予約.
ダイヤには載っていない,ひかり532で浜松へGO.
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