私的備忘録でもあります
塞翁が馬

今日は,当初,名鉄名古屋本線の東端豊橋駅まで行き,そこから蒲郡線—西尾線経由で西に戻る予定だった.しかし,大雨の影響によるダイヤ調整のため,ほとんどの電車は手前の国府駅か伊奈駅止まり.

そこで,豊橋駅まで行くことを諦め,やっときた特急で名古屋方面に戻った.
そして蒲郡線と西尾線は,架線事故のため運休となったことを,その途中で知った.

もし,運良く(?)豊橋まで辿り着けて,蒲郡線に乗っていたら,止まった電車の中に缶詰になっていただろう.

もうひとつ,予定していなかった国府駅で下車したため,名鉄豊川線の0キロポストを撮すことができた.
予期しなかった早朝からの豪雨のため、名鉄名古屋本線の乱れ。

黒雲から逃げるように東へ。

最初の目的地東岡崎駅までは予定通りだったけれど、それ以降、当初の予定は崩壊。
予期せぬところで乗り換えを繰り返し、通常は停車しない急行を当駅で待つ。これもいい経験。
青森ときどき秋田家族旅行メモ
美術館とねぶた編

美術館巡りは主に長女家族の希望

弘前れんが倉庫美術館:大正・昭和期の近代遺産 旧吉井酒造煉瓦倉庫を改修した建物.レンガ造りって独特の美がある.ここではちょっと小さな「あおもり犬」に出会った.




ねぶたの家 ワ・ラッセ:ねぶた祭の歴史や魅力を体感する空間.近くでは,2024年のねぶたが制作中だった.




青森県立美術館:回顧展「小島一郎リターンズ」のなかで宮本常一の写真に出会ったのも嬉しかった.もちろん大きな「あおもり犬」や六角堂の「森の子」にも出会った.
隣は,三内丸山遺跡.私は10年前の訪れたことがある.今回は残念ながら訪れる時間がなかった.孫たちを連れていったら,あの草地を走り回っただろうな.
青森ときどき秋田家族旅行メモ

十二湖,十和田湖,奥入瀬編

青森ときどき秋田家族旅行の初日メモ(07/27)

次女の希望で弘前城へ.こんなところも私と似ている.お城や神社仏閣巡りが好きな中学生の孫も楽しみにしていたところ.

天守を含めた城郭修築が簡単には認められなかった江戸時代,隅櫓の改造の名目でお堀端につくられた天守.現在石垣の修理と耐震補強のため,天守はお堀から離れたところに.天守が元の位置に戻るのは早くても来年らしい.

天守の曳家工事が始まると聞いて,2014年にお堀に映る天守を写しに訪れた.右はその時の写真.
青森ときどき秋田家族旅行 個人的鉄分補給メモ

弘南鉄道大鰐線中央弘前駅と金魚ねぷた






五能線 沢辺踏切









五能線 十二湖駅 リゾートしらかみ3号弘前行き





  青い森鉄道と奥羽本線青森駅(9400 歩)

青森ときどき秋田家族旅行3日目は,十和田湖,奥入瀬から青森市内へ

十和田湖遊覧の後,十和田食堂でヒメマス料理を堪能 小学校の時勉強した和井内貞行


夜は青森市内に繰り出して地元の味を
レアアジフライ いぶりがっこタルタルソース添え この味にはびっくりした 私が大好きなアオハル食堂のアジフライに匹敵すると思う ここでこの味に出会える幸運
本気三貫シリーズ 青森本気
寿司十二貫盛り
カワハギのお造り
野菜天ぷら などなど
次女が選んでくれたお店 美味しかった ごちそうさまでした(7700 歩)

青森ときどき秋田家族旅行2日目は,十二湖散策.

あいにくの雨天なれど,孫たちも元気に歩きました.

宿泊は配偶者の希望で,十和田ホテル.(10400 歩)



今日から,家族10名で青森ときどき秋田3泊4日の旅.

青森空港から,途中弘前の高砂で昼食をとり,弘前城経由で,アオーネ白神十二湖泊.

ひぐらしが鳴いている.
明日は雨が上がりますように.(10100 歩)



3日前,金沢・能登の2日目のメモ.

敦賀駅以北の旧北陸本線は,ハピラインふくい,IRいしかわ鉄道,あいの風とやま鉄道,えちごトキめき鉄道に分割されてしまった.

午前中は,特急能登かがり火1号で七尾へ.現地滞在時間42分の後,特急能登かがり火4号で金沢へ.午後の早い時間から,豪雨のため七尾線は運休.結果的に,七尾もしくは和倉温泉で一泊することから危うく逃れたことに.

約50年ぶりの七尾線の車窓.
七尾から羽咋(その先はかほく市方面へ)にかけて伸びる邑知潟断層帯の地形がきれいに見える.50年前には,そんな視点でこの風景を眺めたことはなかった.




ホテルの朝食時に一緒になった旧姓Tさんから,七尾は長谷川等伯生誕の地だと教えててもらった.彼女は,サントリー美術館に勤務していたはず.さすが詳しい.
駅前には垂れ幕と銅像.






午後は,降りしきる雨の中,トレインパーク白山へ.
5F 展望エリアから通過する北陸新幹線を,そして連絡通路でつながっている白山総合車両所で新幹線車両の点検・整備の様子を眺める.晴れていたら,通過する新幹線,きれいに見えただろうなと.

遅延や運休もあるかもとの張り紙があったIRいしかわ鉄道は,うれしいことに定時運行.トレインパーク白山で知り合った栃木県からの人と金沢まで.彼はJR東日本勤務だそうな.
移動ルートは,Rいしかわ鉄道→JR七尾線→JR七尾線→IRいしかわ鉄道→IRいしかわ鉄道→北陸新幹線→北陸本線→東海道本線.

いろんなことがあった06/23でした.(14700 歩)
長野止まり、金沢止まり時代を含めても、今日が私の北陸新幹線デビュー。

学生時代にアルバイトで、谷水の流量調査をしたあたりを(たぶん)、新北陸トンネルで通過中。新幹線候補ルートの環境影響調査だったのかも。

その時子熊にあった。最も危険なパターン。
それから50年近くが過ぎた。
先日,薬師寺参拝の途中に鉄分補給.

薬師寺の鎮守社 休ヶ岡八幡宮への参道を横切る近鉄橿原線(西ノ京第四号踏切).
大池をはさんで薬師寺伽藍を遠望した帰り道.これは珍しいと思って写してみた.

しかし,調べてみると,各地にあるようだ.
まあ,近鉄奈良線は平城宮跡を分断しているくらいだから.
先日,敦賀の街を歩いていて,交差点に面した角が削られている大きな建物が多いなと思った.

調べると,これは隅切りといって,曲がりやすさや見通しの確保を目的として,建築基準法と各自治体ごとの条例で定められているとのこと.
隅切りをつくる理由は理解できるが,敦賀では充分広い交差点で見られる.何故だ.

気になり始めてしまい,フィルターがかかった観察をした結果,そう思うようになった可能性がゼロではない.しかし,そうでないとしたら,福井県もしくは敦賀市はなにか特別の理由があって条例を設けているのだろうか.もしくは,条例とは関係のない街のデザインなのだろうか.
金ヶ崎城址にある金崎宮
金ヶ崎の退き口以前に,平通盛と木曾義仲が戦い,新田義貞が一時陣を構えた地であったことを知った.やはり北陸道の要衝だったのだ.





敦賀ムゼウム
大陸との玄関口,人道の港の紹介.
左から順に,復元された,税関旅具検査所,敦賀港駅,大和田回漕部,ロシア義勇艦隊事務所.




赤レンガ倉庫と急行わかさ
わかさは,1961年当初小浜線経由で金沢駅—西舞鶴駅の運行だったようだが,東舞鶴駅—敦賀駅となり1999年に廃止された.

小浜線の急行と云えば,名古屋駅発の大社が,東海道本線—北陸本線—小浜線—舞鶴線—宮津線—山陰本線—大社線経由で大社駅まで運行していた.この大社に一度乗車したような気もするが,当時の私にとっては単なる移動手段.今のように楽しむことはなかったので,記憶が極めて曖昧.今となっては悔やまれる.

旧大和田銀行本店本館(現敦賀市立博物館)
福井在住のT君のお勧め.閉館時間を過ぎていたので,入館できず.






金ヶ崎からの敦賀湾遠望
天然の良港であることは一目瞭然.大陸への玄関口であることに納得.






不思議な規制標識
北陸自動車道下り車線の規制標識@敦賀市葉原
何故こちらを向いている.
3月に北陸トンネルから飛びだす特急を写しに敦賀ー南今庄へ出かけた.
東海道本線の列車ダイヤが乱れ,下り特急「しらさぎ」は米原駅を前にして徐行運転をしていた.

その時,目にしたJR東海とJR西日本の境界標識.焦って写そうとしたが間に合わなかった.
通常走行の場合,私の動体視力ではたぶん認識できない.
こういったものを見つけると何となく嬉しくなってしまう.

名古屋ー金沢運行が終了する前の特急「しらさぎ」からの贈り物だったのか.

ネットで調べると,「東海道本線:米原駅と醒ケ井駅との間にある下り第一閉塞信号機が線路上の境界」とある.このことだろう.
東海道本線が国道8号線をアンダーパスする地点の少し名古屋寄り.

一昨日,下り「しらさぎ」車中からビデオ撮影して,ブレはひどいが何とかキャッチできた.
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