私的備忘録でもあります
昨日は、恩師坂野先生の祥月命日。
13年前の今日、東京出張からの帰りの新幹線車中に、京大の北村先生から訃報の電話があった。  そんな事を思い出した新幹線車中。
浜松駅手前で突然強い雨が降り始めた。車窓の景色はほとんど見えない。合掌 (7000歩)
・令和の「点と線」 
昭和33年,松本清張は13番線ホームから15番線ホームを見通した.
13:11:00 3・4番線ホーム(京浜東北線,山手線)から,10番線ホーム(東海道本線)とその向こうの新幹線ホームを見通すことができた.


・構内中央通路,そこは何度も歩いているが,今回初めて気がついた.浜口雄幸首相遭難の現場.そういえば,原敬首相遭難現場もあるはずとネット検索.丸の内南口の現場は,説明プレートがないとなかなか気がつかない(6700歩).
今年は,聖徳太子1400年遠忌.

東京国立博物館の特別展に滑り込みで,早足に見学.

おそらく私が,最後の入館者.時間はともかく,ゆったりと見学できた(17400歩).

昨日は,父が書き残した記録と父が亡くなったときに取り寄せた戸籍謄本をもとに,我が家の家系図をつくることで過ごした.この頃はまだ法令が改正される前で,戸籍謄本には親兄弟やその配偶者など全ての情報が記載されていたので,多くを知ることができた.

・私が直接知っているご先祖様は,祖父母とその兄弟姉妹の何人かまで.
・曾祖父母のことは祖父から話を聞き写真で顔を知っているのみ.曾祖父が生まれたのは嘉永6年(1853年)でペリーが浦賀に来航した年.
・高祖父は文政8年(1825年)の生まれで,異国船打払令が出された年.父も話を聞いただけで,直接はあったことはなかった.
こうしてみると,幕末も意外と近い感じがする.

・高祖父の一代前の方については,いまのところ勘兵衛という名前がわかっているだけ.この方まで,ご先祖様は代々勘兵衛を名乗っていたらしい.我が家は分家の分家なので,元々の本家にはもっと情報があるだろう.しかし,ちょっと縁遠くなってしまっている.もう一つは,菩提寺の過去帳を辿るか.

我が家には,曾祖母の実家の位牌も受け継がれている.位牌をお守りする方がおられなくなり,私の祖父が受け継いだらしい.その初代は,宝暦5年(1755年)に亡くなっている.ちょうど木曽三川の宝暦治水が行われていた年.将軍職は,徳川吉宗から家重に移り,尾張徳川では宗治の晩年.
興味はないかとも思ったが,娘や息子に送ったら,うれしい返事.少しずつご先祖様の情報を伝えてゆこうとおもう.父が書き残したように.
父が書き残したもののデジタル化と整理を始めた.
そして父と私の中国は,「大別山」でリンクしている偶然を思い返すことになった.

父は,国民学校訓導の職にあった昭和16年4月10日に,第三師団歩兵第六十八連隊へ入隊し,中国・湖北省—湖南省地域を主に転戦.
そして,昭和19年10月15日 湖南省江華縣江華において,右大腿部軟部貫通銃創(腓骨神経損傷)の重傷を負い野戦病院に入院、肺炎を併発.その後,南京,上海の病院でやっと本格的な治療を受けて,昭和21年2月5日鹿児島上陸帰国し療養,翌年4月から教職に復帰している.

その際の行軍ルートをまとめた略図が残されている.
そこに,大別山がえがかれ,別の用紙には昭和19年5月にその周辺での戦闘に参加していることが記されている(5月10日孝感,5月17ー19日漢口・武昌など).年をとってから,これだけの情報を,どこからひっ張り出してきたのか.記憶の中からなのだろうか.そうだったら,私には真似ができない.

地球科学の分野で,大別山地域と言えば,蘇魯—大別超高圧変成岩が分布する地域として重要かつ有名である.私も主に蘇魯地域の超高圧変成岩を研究をしている(た?).父が苦労して行軍していたところは,まさにその超高圧変成岩が分布する地域.

超高圧変成岩の研究を本格的に始めた1990年代初め,一緒に酒を飲みながら,少し大別山の話をしたことがある.もっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむ.

父が残した戦争に関する原稿の中には,「非公開」と書かれているものもある.非公開としながらも子や孫に残したかったこと.それは何なのだろう.
これまでは,あえて開封することをしなかったが,もうそろそろ読んで次に渡す準備をし始めてもよい頃だと思う.

父が他界して19年目のお盆.合掌
工作
孫が、かにパンなるものを持ってきた.
ひとつもらって、ふくろがきを参考に,カニからトンボ、そしてセミをつくった.

社会
カンパンや源氏パイもつくっている三立製菓が浜松の会社だと知った。




お寺さんの棚経が今日だったので、ちょっと早い迎え火。

今年は、子供たちや孫たちも集まってくれました。

こちらにお迎えするのは8年目。
迷わずに来ていただけたと思います。

どうか、おくつろぎください。
家族の誕生日は、夏(6, 7)、秋(10)そして冬(12, 1)に別れている。
今日は、夏の部 誕生会。

写真の中に、孫2人の年齢が隠れています。







小学校では学研の科学と学習,中学になってからは科学を購読していたと記憶している.
でも,調べてみると中学の科学がヒットしない.
中学生になっても,小学校へ毎月なにがしかの本を受け取りに行った記憶はある.あれは何だったんだろう.

からくり時計のことを調べていて,科学の付録にあった時計のことを思い出した.
歯車と振り子の仕組みを理解するもの.
学研のHPをあたってみると,6年の科学1965年(番号から判断すると,おそらく11月号)にそれがあった .記憶と一致してスッキリ.

その延長で,気に入った「大人の科学」を大人買い.
まずは2つ届いた.

週末,孫たちが1泊で遊びに来る.それまでにプラネタリウムを完成させよう.
孫から,駄菓子屋さんに行きたいと連絡があったので,現地集合.
ちょっとした午前中散歩.

空には飛行機雲が幾筋も.天気は少しずつ下り坂か(8200歩).
昨日まで何の問題もなかった自室のエアコンが,突然不調に.
引っ越しをしてきた当時からだから27年もの.

時は流れ,今はイオン系になった,旧ダイエーのメイトピア名東店で,展示品を安く買ったもの(私は記憶にないが,配偶者はこういったことを良く覚えている).それが他のエアコンに比べて,一番長持ちをしたとは.....

取り付けまでどれくらい我慢する必要があるかと心配になったが,明日取り付けできるとのこと.
昨年の10万円給付(そもそもこの表現が適当かどうかわからないが)に関連した需要が多かったので,今年はまだ波が来ていないし来ても小さいだろうとお店の人.

さて,これで電気代がどれくらい節約できるか.わくわく.
もうひとつは,結婚以来42年間使っていた箪笥.
どちらも長い間ご苦労さんでした.
最近は,お月様綺麗指令に加えて,娘たちからは夕焼け綺麗指令が届くようになった.

1週間ほど前には,「外すごい色」「きれいだけど,怖い感じ」との半暗号指令があったが,残念ながら見落としていて任務遂行ができなかった.

それにしても,この時期,意に反して蚊に献血することになり,指令に答えるのも楽ではない.

3枚目の写真は,東の空.





久しぶりに,配偶者からお月様綺麗よ指令.

今日は,おぼろ月綺麗.

季節的には,ちょっとあわないが,確かに. いつもとは少しちがう雰囲気の月が写せた.


雷雲が近づいてくる予報なので,2.5時間ほどタイムプラス撮影.

結局,雷雲は,当地の西側をかすめるようにして北上してゆきました.
5秒間隔で撮影した画像を8倍速で再生(22秒).

17:52頃から現れる明るい直線状のもの(静止画像にしないと多分判らない).飛行機雲のようにも見える.ただ,流れるだけで形状は崩れないように見える.何なんでしょうね.

集合しているはずの三日の月と,金星,火星の代わりに,美しい茜雲.

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