私的備忘録でもあります
父が書き残したもののデジタル化と整理を始めた.
そして父と私の中国は,「大別山」でリンクしている偶然を思い返すことになった.

父は,国民学校訓導の職にあった昭和16年4月10日に,第三師団歩兵第六十八連隊へ入隊し,中国・湖北省—湖南省地域を主に転戦.
そして,昭和19年10月15日 湖南省江華縣江華において,右大腿部軟部貫通銃創(腓骨神経損傷)の重傷を負い野戦病院に入院、肺炎を併発.その後,南京,上海の病院でやっと本格的な治療を受けて,昭和21年2月5日鹿児島上陸帰国し療養,翌年4月から教職に復帰している.

その際の行軍ルートをまとめた略図が残されている.
そこに,大別山がえがかれ,別の用紙には昭和19年5月にその周辺での戦闘に参加していることが記されている(5月10日孝感,5月17ー19日漢口・武昌など).年をとってから,これだけの情報を,どこからひっ張り出してきたのか.記憶の中からなのだろうか.そうだったら,私には真似ができない.

地球科学の分野で,大別山地域と言えば,蘇魯—大別超高圧変成岩が分布する地域として重要かつ有名である.私も主に蘇魯地域の超高圧変成岩を研究をしている(た?).父が苦労して行軍していたところは,まさにその超高圧変成岩が分布する地域.

超高圧変成岩の研究を本格的に始めた1990年代初め,一緒に酒を飲みながら,少し大別山の話をしたことがある.もっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむ.

父が残した戦争に関する原稿の中には,「非公開」と書かれているものもある.非公開としながらも子や孫に残したかったこと.それは何なのだろう.
これまでは,あえて開封することをしなかったが,もうそろそろ読んで次に渡す準備をし始めてもよい頃だと思う.

父が他界して19年目のお盆.合掌
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