散歩には帽子と日焼け止めが必須となった.すでに,かなり焼けているけれど.

壬申の乱は不破関,それに関ヶ原の戦い.いずれも岐阜県西部.地形的ボトルネックの所為なのでしょう.
もうひとつの大きな戦い 承久の乱の口火となった二つの合戦も岐阜県中部が舞台.これは,木曽川があったからなのでしょう.

そのうち大井戸渡の戦い跡をたずねてみた.
地名から判るように,木曽川では比較的浅瀬が多い箇所だったらしく,東山道や中山道のころから渡し場があった所.合戦の場になった理由も納得.
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十四番大宝寺さんに参拝.(20100歩)