私的備忘録でもあります
金沢には、当時はそうは呼んではいなかったが、第八までのナンバー餃子とでもいうお店がある(あった)。
多分いずれも親族間の暖簾分け.第四は欠番。ネット情報によると、古い住宅地図には第12が見られるそうだが、詳細は不明。
そのうち、現存するのは、第五、第六と第7(これだけ算用数字)。ホワイトギョーザで、第7は妙に有名になりすぎて、小立野時代の昔のようにふらっと立ち寄ることができなくなった。
ギョーザの店芳斎店と名前は変わったが、第7よりも古い第五餃子を訪れるため、金沢駅から徒歩で。その後昔を懐かしんで片町まで散歩。
第五の餃子は、ホワイトギョーザではなく、第一から続くタイプの餃子。こちらが本来の味らしい。学生の頃は、第7ギョーザでもっぱら安い方のホワイトばかり食べていた。
金沢を去って40年以上経ってから、ナンバー餃子の本来の味を知った。
夜は,配偶者と息子家族と一緒に,金沢の海鮮料理を楽しんだ.(18300歩)
多分いずれも親族間の暖簾分け.第四は欠番。ネット情報によると、古い住宅地図には第12が見られるそうだが、詳細は不明。
そのうち、現存するのは、第五、第六と第7(これだけ算用数字)。ホワイトギョーザで、第7は妙に有名になりすぎて、小立野時代の昔のようにふらっと立ち寄ることができなくなった。
第五の餃子は、ホワイトギョーザではなく、第一から続くタイプの餃子。こちらが本来の味らしい。学生の頃は、第7ギョーザでもっぱら安い方のホワイトばかり食べていた。
金沢を去って40年以上経ってから、ナンバー餃子の本来の味を知った。
夜は,配偶者と息子家族と一緒に,金沢の海鮮料理を楽しんだ.(18300歩)
この記事にコメントする