私的備忘録でもあります
岐阜県各務原市を中心に活動・活躍されている2つのグループ共同企画の講演会で話す機会を得た.
各務原は,私の祖父母と小学生だった父が,一時住んだ地.
私にとっては,「木曽川の対の地形を歩く~各務原台地と日本ライン」というフィールドワークに参加して以来のご縁の地.
そして,父の遺品の中にあった写真がきっかけとなり,市内小学校創立150周年記念企画として,「かかみがはらを訪ねて」と題して話しをさせていただいた.
市の広報に掲載されたとのことで,かつて所属していた研究室のOBのご両親や妹の知り合いの方にも来ていただき,ちょっとした驚きだった.
左の写真は,父の遺品の中にあった那加小学校の全景写真.
右の写真は,私が各務原台地を意識するきっかけとなったJR高山線を走る列車.(7200 歩)
各務原は,私の祖父母と小学生だった父が,一時住んだ地.
私にとっては,「木曽川の対の地形を歩く~各務原台地と日本ライン」というフィールドワークに参加して以来のご縁の地.
市の広報に掲載されたとのことで,かつて所属していた研究室のOBのご両親や妹の知り合いの方にも来ていただき,ちょっとした驚きだった.
左の写真は,父の遺品の中にあった那加小学校の全景写真.
右の写真は,私が各務原台地を意識するきっかけとなったJR高山線を走る列車.(7200 歩)
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