私的備忘録でもあります
私がエッシャーの作品を知ったのは,松本崧生先生の結晶学の講義だった.
豊田市美術館で開催中の「エッシャー 不思議のヒミツ」に配偶者を誘おうと思っていたら,先に誘われてしまった.こんなことが起こるのは極めて珍しいこと.9月下旬になろうというのにこの猛暑.ひょっとしたらこのせいか.
エッシャーが亡くなったのは1972年.もっと昔の人だとばかり思っていたが,私の祖父とはひとつ違い.
初期の作品のいくつかは,なんとなくデ・キリコの「街の神秘と憂鬱」と雰囲気が似ているなと思う.キリコも同時代の人だったとは.学生の時,二人の画集を衝動買いした.
長女家族も出かけたそうな.将来どんな道に進むのか判らないが,中学生のうちから,こうしたテセレーションやメタモルホーゼの世界にもふれたことは,幸せだと思う.
中学生の孫は,Lineのマークを「円の極限 IV 天国と地獄」に変えていた.面白い子だ.
エッシャーが亡くなったのは1972年.もっと昔の人だとばかり思っていたが,私の祖父とはひとつ違い.
初期の作品のいくつかは,なんとなくデ・キリコの「街の神秘と憂鬱」と雰囲気が似ているなと思う.キリコも同時代の人だったとは.学生の時,二人の画集を衝動買いした.
中学生の孫は,Lineのマークを「円の極限 IV 天国と地獄」に変えていた.面白い子だ.
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