私的備忘録でもあります
街中に出かける用事があったので,一昨日設置されたらしいポケモンマンホール蓋を写しに名古屋城近くに.このデザインはこれが唯一のものとのこと.

今日は5歳になった孫の誕生日.送ったら,喜ぶだろうか.
伯母や母の年代は,ちょっと改まった買いものといえばデパートだった.
岐阜市内のデパートといえば,丸物,山勝,新岐阜,岐阜近鉄,岐阜ステーションデパートそして岐阜高島屋だったが,今はすべて閉店.

伯母さんの家を片付けていると,包装紙にくるんだままのものがいろいろ出てくる.必然的に昔の百貨店の包装紙を目にすることに.

柳ヶ瀬にあった丸物岐阜店.1977年に岐阜近鉄百貨店となり,それも今はない.私が子供の頃のデパートと言えば丸物だった.包装紙に見覚えはあるけれど,時代が特定できない.ちょっと残念.

新岐阜百貨店.現名鉄岐阜駅に併設されていたターミナルデパート.これも見覚えがある.2005年に閉店.

松坂屋.1961年以降は,ほぼ10年ごとに包装紙のデザインを変えているとのこと.シンボルフラワー「カトレア」のデザインは,1957年に採用されたが,この紫色は,1961-1971年のもの.

今日も雨の一日.包装紙について調べてみた.

 
母方の祖父母と伯母の法要のため,比叡山延暦寺さんへ.

曾孫や姪孫,そして玄孫や曾姪孫も一緒にお参りしてくれて,皆さんきっと喜んでくれていると思う.合掌

 国宝の根本中堂と重要文化財の廻廊は,2016年から10年の予定で60年ぶりの大改修中.落慶後に皆さんへのお参りを兼ねて訪れてみたい.
5月には実現しなかったドクターイエローとディズニー新幹線のコラボ.それを撮しに三河安城駅に 出かけた.上りホームでの同好の士は女性が二人.

上りのぞみが少し遅れたために,もうひとつの目的,揃う新幹線3編成は実現せず.
伯母さんの家の片付け

時々面白いものが出てきて,そんな時は少し休憩.

今日は,こんなキーホルダー.
NHK「新日本紀行」で『幸福への旅~帯広~』が放送され,今は廃線となっている旧国鉄・広尾線の「幸福駅」と「愛国駅」が大ブームになったのは,1973年〜のこと.FB友達の中にも訪れた方が多分おられるだろう.

その翌年の硬券.どうして伯母さんが持っているのか.伯母さんはちょうど50歳で,まだ銀行を退職する前.自分で出かけたのか,お土産にもらったのか.
いずれにしても珍しいものを残してくれた.
子供たちも知らないこと.中三の孫に渡したらなんと言うだろう.
今日は,奈良国立博物館で特別展「超国宝-祈りのかがやき」

先日の京都国立博物館のことを思い,チケットを持っているから大丈夫と考えていたら,とんでもない長蛇の列.GPSの記録だと約500 m.入館までに約50分.

明治時代に撮られた写真と今を比較したコーナーがあったりして,開館130年を意識した構成でもあった.

有名な仏像をぐるっと一回りして拝することができるとは.
そして,菩薩半跏像には,特に惹かれてしまう.

法隆寺・観音菩薩立像(百済観音):約19年ぶりにお目にかかった.こんなにスラッとしたお姿だったっけ.

東大寺・弥勒仏坐像(試みの大仏):東大寺の大仏を作る時の試作として作られた仏像という伝承がある.前に身を乗り出すようなお姿.いいね.

円成寺・大日如来坐像:鎌倉新様式を切り開いた,運慶20歳代の造像とか.すごい.

中宮寺・菩薩半跏像(伝如意輪観音):やっとお目にかかれた.

宝菩提院願徳寺・菩薩半跏像(伝如意輪観音):美しい そしてかっこいい

そして,石上神宮・七支刀:よくぞ残っていた.これが間近で見られるとは.

結局,館をでるまでに並び初めてから4時間.仏像館を今回も訪れることができなかった.(9800 歩)
一昨日は,ちょうどドクターイエロー下りのぞみの運行日だった.
そこで,京都国立博物館の後は,鳥飼車両基地と新大阪駅でドクターを待ち伏せすることにした.まあ,今回の関西行きは,それに日程をあわせたのだけれど.

ドクターは,鳥飼車両基地で新大阪以西の運行前に約2時間待機(休息)しているはず.ただ,いかんせん基地は広すぎる.みつけることができなかった.

その後,新大阪駅に移動.ここでは,JR西日本500系こだま845が20番線に入線し,17:25-17:27の約2分間,博多駅に向かうために21番線で待機しているドクターと共演.

500系は,6編成のうち4編成が2026年度末に,残りの2編成も2027年を目処に引退らしい.ドクターイエローT5も2027年に引退が決まっている.
その前に,両者の共演を撮すことができて良かった.今回はどちらかと言えば500系の方が主役.


京都国立博物館で特別展「日本,美のるつぼ」.

いや,それにしても「るつぼ」過ぎる.
予想もしない作品が隣り合わせで展示されており,説明を一読しても全体の構成の意図がよくわからずに混乱したまま,三時間をすごした.

やはり,仏たちに出会うとホッとする.
なぜ,縄文土器や土偶は展示されていないのか.

そして今朝,小さく書かれたザブタイトル「異文化交流の軌跡」に気づいて,構成の意図や縄文土器などが展示されていない理由もなんとなく判った.
それでも,私にとっては,今回の展示は難解だ.

当日券売り場は長蛇の列.
でも,オンラインチケットなどを持っていれば,並ぶことなく入館できる.そして,予想したほどは混雑していなかった.当日券売り場が,入館人数を意図せずに(?)コントロールしている感じ.(16100 歩)
気になることがあって,金沢の中華チェーン店「チュー」の歴史について調べていた.私が辿り着けなかったどんな情報を,ChatGPTが見つけてくれるかと,ちょっと遊んでみた.

結果は拍子抜け.具体的でないことを,小説を書くように長々と.
そして,ChatGPTは質問にあわせて,息をするように情報を捏造する.

私が調べたところによると,チュ−の創業は1946年.

質問に「老舗」という情報を加えるか否かによる,回答の違い.この部分が唯一具体的な回答に近い箇所.どちらも決定的な誤りを含んでいる.

1.主に金沢にある,中華のチェーン店 チューの歴史について教えて下さい.
「「チュー」の元々の名前は「中華料理 チュー」として、金沢市内において地元の人々に愛される中華料理店としてスタートしました。創業は1980年代後半とも言われており、最初は家庭的な雰囲気の小さな店舗で営業をしていました。」

2.主に金沢にある,老舗の中華のチェーン店 チューの歴史について教えて下さい.
「「チュー」という名前は、金沢で非常にポピュラーな中華料理チェーンの一つで、1950年代または1960年代初頭に創業されたとされています。元々は小さな家族経営の中華料理店としてスタートし、その後地元の食文化に深く根付いていきました。伝統的な中華の味わいを大切にしつつ、地元の食材を活用したメニューが特徴です。」

いやはや,恐ろしや
出張中の息子から送られてきた写真.

寝台特急サンライズ瀬戸・出雲

JR東海本社(名古屋)が担当する愛知県と岐阜県内の東海道本線全駅,名古屋駅にさえも停車することがない列車.

豊橋駅に停車中.回送だそうな.何があったのだろうか.

今では唯一の夜行列車.いつか乗車してみたい.
平泉寺白山神社三十三年式年祭で,ご神体河上御前の御開帳があり,昨日にお参りした.

白山三山の神々を勧進する,本社(伊弉冉尊),別山社(天忍穂耳尊)越南知社(大己貴尊)からなり,白山信仰の越前側の中心地.神仏判然令が出された後も,神仏習合の形態が色濃く残っている.境内の苔が美しいことでも知られている.

これで,白山比咩神社(加賀:菊理媛神),長滝白山神社(美濃:菊理媛神)とあわせて,白山の三馬場を訪れ,参拝することはできた.いずれの神社も,女神が祀られていることが興味深い.菊理媛神は,古事記には登場せず,日本書紀にただ1回登場する不思議な神様.

福井県内,東京と大阪からの人たちと話をしながら,神事が行われるのを待ち,その後参拝するまでに2時間40分を要した.私たちが並び始めた時の列は,GPDの記録によると約300 mだったけれど,その後どんどん伸びていた.いったいどれくらいになったのだろう.ちなみに前回1992年の時の参拝客は,3日間で14万人強だったそうな.この並びも修行なのかもしれない.(13400 歩)
叔母の家の片付け.

気分転換に忠節橋と金華橋間の長良川堤防を散歩.
そして,忠節橋の記念碑が立てられていることに気づいた.
記念碑が建てられているのは,初代の橋が架設されていたところで,碑は2代目とともに設置されていたものとのこと.ちょうど,伯母の家の前の道から登ったところ.

碑の説明文によると,初代忠節橋は1884年(明治17年)頃に供用開始で,現在の橋は1948年(昭和23年)竣工の4代目.初代の橋は1891年(明治24年)の濃尾大震災で被災したのであろう,1897年(明治30年)頃に2代目が供用開始.ちなみに3代目は1908年(明治41年)頃から.このあたりの年代は,資料によって多少異なる.
また,2代目と3代目は,初代と4代目とのほぼ中間の位置に架けられていたらしい(「ふるさと岐阜の歴史をさぐる」No.26).

気まぐれの散歩だったけれど,予想もしなかったものに出会えて良かった.
何年かおきにアップする話題.
2012/05/21朝の金環日食.

1時間超のビデオ映像があることを思い出し,早送りながら初めて通しでみた.
最初は曇天で半ば諦めていたけれど,日食が始まる頃になると急に雲が消えていった.

赤色の写真はビデオから切り出したもの.

当時1歳だった孫は,もう中学3年生.画像を送ってみたが,さてどんな返事が返ってくるか.彼女からは,時々予想もしないコメントがあるので面白い.



私にしては,ひさしぶりのドクターイエロー

なんとなく疲れていて,前日の下りはスキップして,今日は上りドクターを近場の笠寺橋から.

皆さん,新幹線直上で細かい目のフェンスを通して俯瞰するアングルで待っておられる.

ここは,東海道本線と並走しているので,私は在来線と一緒のシーンを撮す予定で別の位置で待った.

狙い通り停車中のJR貨物列車との共演を撮せそうだと楽しみにしていたら,ドクター通過約1分前に発車してしまった.残念.

本当は,例えば右のようなシーンを狙っていたのだけれど.
高山に出張中の息子から送られてきた写真.

かつて,飛越線という路線があったことは知らなかった.

調べてみると,岐阜側から高山線,富山側から飛越線として建設が進められ,最終的に高山駅をはさんだ飛騨小坂駅—坂上駅間がつながり,高山本線となった.そして,この碑は高山駅から少し北,上枝駅(ほずええき)寄りにあるとのこと.

点の点が足りない.....

ところで,揮毫した梶田謙介氏とはどんな人なのか.国鉄もしくは自治体関係者だと思って調べたが,それらしき人は全くヒットしない.
そこで,ChatGPTに「高山線と飛越線の接続点を示した碑に揮毫した梶田謙介氏は,どんな経歴の人ですか.」と質問して遊んでみた.

その答えの一部:
梶田謙介氏は、高山線と飛越線の接続点を示す碑に揮毫された方ですが、詳細な経歴についての情報は限られています。具体的な経歴やその他の業績については、地域の歴史資料や鉄道関連の文献などでさらに調査することをお勧めします。

「詳細な経歴についての情報は限られています。」とは,うまく逃げたな.
わかりませんもしくは知りませんとは言わないんだ.
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