私的備忘録でもあります
福井県立若狭歴史博物館で開催中の「とあるお寺のほとけさま —秘仏観音と伝来の古仏—」を訪れ,平安時代初期の十一面観音菩薩と多くの仏様たちにおあいしてきた.
十一面観音菩薩立像は,全体的なバランスはあまり考慮されておらず,頭部と足が相対的に大きく,まるで幼児の体型.これは,古い仏像によくみられる特徴とのこと.
若狭地方には,平安〜鎌倉時代の仏像が数多く伝わっている.
今回の展示「とあるお寺の」となっており,伝わっているお寺は公開されていない.
博物館の説明ではふれられていなかったが,福井県の公式HPでは「小浜市内のとある村落の小さな寺院に、ひっそり伝わったほとけを紹介します。33年に一度ご開帳される本尊観音菩薩立像」と説明されている.今年が,その33年目だったのだろうか.
若狭の仏様達にあい,青空の若狭路を車窓から楽しみました.(9600)
若狭地方には,平安〜鎌倉時代の仏像が数多く伝わっている.
今回の展示「とあるお寺の」となっており,伝わっているお寺は公開されていない.
博物館の説明ではふれられていなかったが,福井県の公式HPでは「小浜市内のとある村落の小さな寺院に、ひっそり伝わったほとけを紹介します。33年に一度ご開帳される本尊観音菩薩立像」と説明されている.今年が,その33年目だったのだろうか.
若狭の仏様達にあい,青空の若狭路を車窓から楽しみました.(9600)
祖母の37回忌法要を,東区の徳源寺さんで行った.
お嬢さんというほどではないけれど,代々続いた町家で育ったそうで,おっとりとした人だった.
両親が仕事をしていたので,授業参観の際はいつも代わりに出席してくれた.
そのことを同級生に毎回からかわれ(今思うといじめ),私は祖母が来るのを嫌がっていた.祖母もできれば出席したくはなかったと思う.
そんなことを突然思い出し,申し訳なかったと詫びつつ,お経を上げた.
徳源寺さんからの帰りは,いつもなら筒井松月さんに寄るのだが,配偶者が芳光さんのわらび餅を買いたいというのでそちらへ.
私は知らなかったのだが,結構有名らしい.
配偶者が聞いた話だと,これを求めて名古屋にという人もおられるらしい.
我が家用に,わらび餅2個を含めた5種6個を購入(ほととぎす,卯の花,水光る,花あやめ).
あわせて,娘たちの所へも.
お嬢さんというほどではないけれど,代々続いた町家で育ったそうで,おっとりとした人だった.
そのことを同級生に毎回からかわれ(今思うといじめ),私は祖母が来るのを嫌がっていた.祖母もできれば出席したくはなかったと思う.
そんなことを突然思い出し,申し訳なかったと詫びつつ,お経を上げた.
私は知らなかったのだが,結構有名らしい.
配偶者が聞いた話だと,これを求めて名古屋にという人もおられるらしい.
我が家用に,わらび餅2個を含めた5種6個を購入(ほととぎす,卯の花,水光る,花あやめ).
あわせて,娘たちの所へも.
論文業績を評価する際に,好むと好まざるとに関わらず,その(あくまでも)目安として使われている数値は,これまでは大手の出版業界が提供するものであった.
しかし,最近はその手を離れ,おそらくは出版業務との利害関係がないところから(そう信じたい),いろんな統計指数が発表されるようになった.
先程,あるところからEJMで1993年に公表された108編の論文中では,私の論文が2番目に多く引用されているとデータが送られてきた.
そして,その理由は何だと思うかと問うていた.
何処まで信用できるかはともかく嬉しい.しかし,いきなりなので,ちょっと警戒して調べてみたが,とりあえず問題はなさそう(こんなことにまで,とりあえず気をつけないといけないとは,寂しいこと).
実は,この2番目の論文は私が主著者ではないので,4番目に多く引用されている論文に関して,次のような返事を書いた.
「この論文を投稿した際には,これほど引用されるとは,わたし自身予想していなかった.
この論文での議論の重要性が,特にこの分野で理解されるようになったのは,20年以上経過した最近のことである.
当初は注目されなかった研究が,後に重要な意味を持っていた例のひとつであろう.」
ちなみに,CMP (1994) 114編の論文中で6番目となっているものがある.これは,データ集めに本当に苦労したし,かなり自信を持って書いたもので,当初の目論みどおりというか納得.
これらの三つの論文は,私が30歳台後半に行った仕事.
「ある人にとって重要もしくは評価される研究の多くは,結果的に若い時に行われたものである.」とよく言われるが,私もどうやらその部類だったらしい.それ以降のほぼ30年間,私は何をしていたのか.
しかし,最近はその手を離れ,おそらくは出版業務との利害関係がないところから(そう信じたい),いろんな統計指数が発表されるようになった.
そして,その理由は何だと思うかと問うていた.
何処まで信用できるかはともかく嬉しい.しかし,いきなりなので,ちょっと警戒して調べてみたが,とりあえず問題はなさそう(こんなことにまで,とりあえず気をつけないといけないとは,寂しいこと).
実は,この2番目の論文は私が主著者ではないので,4番目に多く引用されている論文に関して,次のような返事を書いた.
「この論文を投稿した際には,これほど引用されるとは,わたし自身予想していなかった.
この論文での議論の重要性が,特にこの分野で理解されるようになったのは,20年以上経過した最近のことである.
当初は注目されなかった研究が,後に重要な意味を持っていた例のひとつであろう.」
ちなみに,CMP (1994) 114編の論文中で6番目となっているものがある.これは,データ集めに本当に苦労したし,かなり自信を持って書いたもので,当初の目論みどおりというか納得.
これらの三つの論文は,私が30歳台後半に行った仕事.
「ある人にとって重要もしくは評価される研究の多くは,結果的に若い時に行われたものである.」とよく言われるが,私もどうやらその部類だったらしい.それ以降のほぼ30年間,私は何をしていたのか.
曇天で時々小雨の空模様.散歩に出かけるわけにもいかず机仕事.
それにも飽きたので,0キロポストアルバムをつくってみた.
2022/04/26 江ノ島電鉄線@藤沢駅
2022/04/25 横須賀線@大船駅
2022/04/05 小浜線@敦賀駅
2022/02/18 品鶴線@品川駅 15番線ホーム
2022/02/12 名鉄広見線@犬山駅
2022/01/31 京急本線@京急品川駅
2021/12/21 各務原線@名鉄岐阜駅
2021/12/10 赤羽線@池袋駅,常磐線@日暮里駅,総武本線支線@御茶ノ水駅,総武本線@東京駅,京葉線@東京駅
2021/12/09 ゆりかもめ@新橋駅
2021/12/08 高山線@岐阜駅
2021/12/03 稲沢線@名古屋車両基地
2021/11/25 北陸本線@米原駅
2021/11/11 京王井の頭線@渋谷駅
2021/11/09 つくばエクスプレス@秋葉原駅
2021/11/07 名鉄名古屋本線(旧名岐線の起点か)@名鉄名古屋駅 2番ホーム,名鉄犬山線@名鉄西枇杷島駅東,名鉄津島線@須ヶ口駅,名鉄竹鼻線@笠松駅
2021/10/30 名鉄名古屋本線(旧豊橋線+旧東西連絡線の起点か)@名鉄名古屋駅 3番ホーム
2021/10/24 名鉄瀬戸線@栄町駅
2021/10/08 山手線@品川駅 1番線
2021/10/05 鶴見線大川支線@武蔵白石近く
2021/10/05 鶴見線@鶴見駅,武蔵野線@鶴見駅,関西本線@名古屋駅
2021/09/27 名鉄河和線@太田川駅
2021/09/21 愛知環状鉄道@岡崎駅,名古屋臨海高速鉄道あおなみ線1番線@名古屋駅
2021/09/07 飯田線@豊橋駅
2021/08/31 東北新幹線@東京駅,東海道新幹線@東京駅,東海道本線@東京駅 10番線,8番線の0キロポスト@東京駅,中央本線@東京駅 1番線,東海道本線・東北本線@東京駅 3番線,「JR JUNE 23 1996」0キロポスト@東京駅 6・7番線,東京駅開業55周年記念 (1969)0キロポスト@東京駅 4・5番線
2015/05/05 養老鉄道養老線@大垣駅
それにも飽きたので,0キロポストアルバムをつくってみた.
2022/04/26 江ノ島電鉄線@藤沢駅
2022/04/25 横須賀線@大船駅
2022/04/05 小浜線@敦賀駅
2022/02/18 品鶴線@品川駅 15番線ホーム
2022/02/12 名鉄広見線@犬山駅
2022/01/31 京急本線@京急品川駅
2021/12/21 各務原線@名鉄岐阜駅
2021/12/10 赤羽線@池袋駅,常磐線@日暮里駅,総武本線支線@御茶ノ水駅,総武本線@東京駅,京葉線@東京駅
2021/12/09 ゆりかもめ@新橋駅
2021/12/08 高山線@岐阜駅
2021/12/03 稲沢線@名古屋車両基地
2021/11/25 北陸本線@米原駅
2021/11/11 京王井の頭線@渋谷駅
2021/11/09 つくばエクスプレス@秋葉原駅
2021/11/07 名鉄名古屋本線(旧名岐線の起点か)@名鉄名古屋駅 2番ホーム,名鉄犬山線@名鉄西枇杷島駅東,名鉄津島線@須ヶ口駅,名鉄竹鼻線@笠松駅
2021/10/30 名鉄名古屋本線(旧豊橋線+旧東西連絡線の起点か)@名鉄名古屋駅 3番ホーム
2021/10/24 名鉄瀬戸線@栄町駅
2021/10/08 山手線@品川駅 1番線
2021/10/05 鶴見線大川支線@武蔵白石近く
2021/10/05 鶴見線@鶴見駅,武蔵野線@鶴見駅,関西本線@名古屋駅
2021/09/27 名鉄河和線@太田川駅
2021/09/21 愛知環状鉄道@岡崎駅,名古屋臨海高速鉄道あおなみ線1番線@名古屋駅
2021/09/07 飯田線@豊橋駅
2021/08/31 東北新幹線@東京駅,東海道新幹線@東京駅,東海道本線@東京駅 10番線,8番線の0キロポスト@東京駅,中央本線@東京駅 1番線,東海道本線・東北本線@東京駅 3番線,「JR JUNE 23 1996」0キロポスト@東京駅 6・7番線,東京駅開業55周年記念 (1969)0キロポスト@東京駅 4・5番線
2015/05/05 養老鉄道養老線@大垣駅
寅年にあたり御開扉されている桑實寺(くわのみでら)の秘仏桑峰薬師さんにおまいりした.
自伝によれば,白鳳6年(677年)に天智天皇の勅願によって創建されたとのこと.
お寺は繖山(きぬがさやま)の西麓に位置し,古くにつくられたことが想像できる不揃いの石段を約500段登ると,桑峰薬師さんにお目にかかることができる.これもひとつの修行のようだ.
石段を登り始める頃から一緒になった同年配の方と話をしながら訪れた.
秘仏とはいえ,写すことが許されている,なんともおおらかな仏様.もちろん,フラッシュの使用はだめだろうが.
寅年春の御開扉の最終日午後にもかかわらず,参拝者は数人.
仏様の前に座り,靜かな時を過ごしたのは久しぶりだった.(22400歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十五番岩屋寺さんに参拝.
お寺は繖山(きぬがさやま)の西麓に位置し,古くにつくられたことが想像できる不揃いの石段を約500段登ると,桑峰薬師さんにお目にかかることができる.これもひとつの修行のようだ.
秘仏とはいえ,写すことが許されている,なんともおおらかな仏様.もちろん,フラッシュの使用はだめだろうが.
寅年春の御開扉の最終日午後にもかかわらず,参拝者は数人.
仏様の前に座り,靜かな時を過ごしたのは久しぶりだった.(22400歩)
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第四十五番岩屋寺さんに参拝.
昨日は,配偶者に急かされて久しぶりの断捨離.
約50年一緒に引っ越しをしてきた,大学時代の記録が主で,高校時代のクラブ活動関連のものもあった.
現物を残して置きたいものも多々あったが,PDF化してほとんどはリサイクルセンターに持ち込んだ.大部分を占めたジアゾコピー(いわゆる青焼き)を,リサイクルできるのかと配偶者は心配したがOKだった.
廃棄したものの中には,使わなかった大学の受験票2枚(一期校,二期校各1).これらの大学を受験して,もし受かってどちらかに入学していたとしたら,私は大学の研究所で定年を迎えることはなかったであろう.旅先がまだ見えていない人生の追分でした.
ちょっと驚いたのは,大学の保健管理センター・学生相談室への連絡カード.たぶん入学時に渡されたもの.五月病とは無縁の大学生活をスタート,満喫していたので幸いにして縁はなかったが,すでに50年以上前からこんなケアがされていたとは.
学生運動の残り火はまだくすぶっていた.
約50年一緒に引っ越しをしてきた,大学時代の記録が主で,高校時代のクラブ活動関連のものもあった.
現物を残して置きたいものも多々あったが,PDF化してほとんどはリサイクルセンターに持ち込んだ.大部分を占めたジアゾコピー(いわゆる青焼き)を,リサイクルできるのかと配偶者は心配したがOKだった.
廃棄したものの中には,使わなかった大学の受験票2枚(一期校,二期校各1).これらの大学を受験して,もし受かってどちらかに入学していたとしたら,私は大学の研究所で定年を迎えることはなかったであろう.旅先がまだ見えていない人生の追分でした.
ちょっと驚いたのは,大学の保健管理センター・学生相談室への連絡カード.たぶん入学時に渡されたもの.五月病とは無縁の大学生活をスタート,満喫していたので幸いにして縁はなかったが,すでに50年以上前からこんなケアがされていたとは.
学生運動の残り火はまだくすぶっていた.
10年前から大型連休の晴れた日の散歩は,「東に進路をとれ」.
最初の頃の目的は,珍しい隔離分布をしているナンジャモンジャ(ヒトツバタゴ)の花と自動車販売店(?)の鯉のぼりを見ることだった.
しかし,鯉のぼりは一端見られなくなり,一昨年復活したと思ったら,昨年はポールが撤去されてしまった.
その代わりという訳ではないけれど,岩崎川の源流にあたる岩藤新池とそのさらに奥の窪地を訪れるようになった.
この窪地,満々と水をたたえていたりほとんど干上がっていたりと,訪れる日によって様々に異なる顔を見せてくれる.
そして,窪地の奥は湿地となっており,名前は知らないが湿原植物や鬼板が見られる.
写真は揚げませんが,山道で大きな銭型斑紋を持つ例の蛇に出合ってしまい,危うく踏みつけるところだった.
一年ぶりの訪問でした.(14200歩)
しかし,鯉のぼりは一端見られなくなり,一昨年復活したと思ったら,昨年はポールが撤去されてしまった.
この窪地,満々と水をたたえていたりほとんど干上がっていたりと,訪れる日によって様々に異なる顔を見せてくれる.
そして,窪地の奥は湿地となっており,名前は知らないが湿原植物や鬼板が見られる.
写真は揚げませんが,山道で大きな銭型斑紋を持つ例の蛇に出合ってしまい,危うく踏みつけるところだった.
一年ぶりの訪問でした.(14200歩)