前回,名鉄電車が全面ストップしたため,やむなく途中で引き返した八百津への旅.
杉原千畝記念館を訪れること,季節の味覚「栗きんとん」の購入,そして丸山ダム再訪が目的.
杉原千畝記念館:「命のビザ]で救われた人々がおられる一方で多くの人たちが亡くなったことや,救われた人がいたことによって,奇跡のようにこの世に生を受けることができた人々がいることなど,9月末に訪れた敦賀の「人道の港敦賀ムゼウム」とは,少し視点の異なる展示もあり,来て良かったです.
丸山ダム:小学校の時,訪れたことがあるのですが,何故か記憶にある雰囲気と違う.
少し下流にある,重要文化財の旧八百津発電所もお勧め.古い建物は,どうしてあんなに堂々としているのだろう(18100)
仮想「おくのほそ道」の旅.かなり歩いたけれど,まだ羽前大山に着かず.
今日は,全学一斉地震防災訓練.
日本史上最大の内陸地殻内地震である濃尾地震が起こった10/28に,毎年行われています.
濃尾地震の際に連動した梅原断層帯が,私の田舎の家の近くを走っており,なおかつ朝食の準備時間だったこともあって,そのあたりも甚大な被害を被ったようです
今年で125年.私の祖父が生まれる前のことですが,父母から聞いたその時の被害の様子を,話してくれたことを思い出します.こういったこと,なぜが不思議と記憶に残るものです.
小高い尾根を梅原断層が横切っているところは,切り通しのようになっており,繰り返し動いたと想像されます.
2年半前に訪れた時の根尾谷断層の写真はこちら.(万歩計は電池切れで,歩数は不明)
2年前の文章を流用して,ちょっと町の紹介.
現在の地名は岩崎台ですが,19年前までは岩崎芦廻間(よしはざま).
このあたりは名古屋の東部丘陵地.南東にある桶狭間や田楽狭間をはじめとして,狭間とつく地名が多い.岩崎台も,かつては芦やサギソウが群生する里山だったそうです.私の散歩コースのひとつ猪高緑地はその名残.
スタンプは,防災倉庫のある所に設置.毎年,防災クイズも行われています.
最近近くに引っ越した娘たちの家族4人も参加して,参加賞やたくさんの景品をもらって,喜んで帰りました.あまりにも近いですが,村祭りに都会から帰る雰囲気ですかね.
自治会長さんに伺うと,そんな家族がチラホラあるそうです.そして,自治会もそんな人たちを受け入れている.嬉しいことです.
2年前に自治会の役員になってしまったのをきっかけに,スタッフとして3回目のお手伝い.少しずつご近所デビューをしています.(万歩計は電池切れで,歩数は不明)
10月15日朝,訃報のメールをいただいた.
文面を読むことはできた.しかし,一瞬その意味を理解することはできなかった.
時には週末も出てこられ.ご自身が開発・実用化された年代測定法(CHIME) のさらなる改良を目指した基礎研究と多くの試料の年代測定を続けておられた.
あまり無理をしないで下さいという周りの心配をよそに,何をそんなに急がれたのか.あまりにも早い.
未だ公表されていない多くの貴重なデータを,できる限り公表することが,残されたものの責務である.
鈴木さん,お約束します.合掌
最初のつまづきは,考え事をしていて,当初乗り換える予定の地下鉄本山駅を乗り過ごしてしまったこと.
しかし,ここではまだ慌てない.伏見経由で上小田井駅へ.
そして名鉄犬山線→広見線と乗り継ぐはずだった.
ところが,上小田井駅に到着すると直前におこった名古屋本線の人身事故のため,本線から分岐する犬山線も運休.
そこで,やむなく撤退.残念.
本山で名城線へ乗り継いで→平安通→上飯田経由だったら,運休発生時間前に犬山線から広見線へ乗り継ぐことができたのかと,未練がましく思ってみる.
微妙ですな.
今日はおとなしく家に居なさいという,神様はたまた「おかみさん」の思し召しか.
井堀の棚田のおかんの田んぼは,稲刈りを終えていました.(8200)
仮想「おくのほそ道」の旅は,羽前大山までの道のり遠し.
今年も秋の敦賀を訪れました.
今年で三年目.敦賀駅から徒歩圏内ですが,少し脚を伸ばして,敦賀港「人道の港 敦賀ムゼウム」を訪れました.
敦賀ムゼウムには杉原千畝氏のコーナーもあり,小規模ながらも時のたつのを忘れてしまいそうな,展示でした.敦賀港周辺にはまだまだ訪れてみたいところがたくさんありましたが,次の楽しみに.
そして,次の目的は,北陸トンネルの敦賀側入り口.無理やり誘ったSさんには,半ばあきられましたが,とにかく歩きました.入り口の横には,トンネル内であった急行「きたぐに」の火災事故で亡くなった30名の方々の慰霊碑.私が大学1年の11月のことでした.(19900)
仮想「おくのほそ道」の旅は,酒田に到着.