私的備忘録でもあります
やっぱり彷徨うのは面白い.
しかし,栄地下街で方向を誤り(Geologistの端くれとして恥ずかしい),予定していなかったルートを辿ることに.しかし,これが吉と出た.
そして,ふと最近の新聞記事を思い出した.
名古屋城内堀西(戌亥隅櫓近く)にあったホテルナゴヤキャッスルの建て替えに伴い,築100年超の赤れんが塀(1913年頃のものらしい)が,今月中に撤去されることを.
訪れてみると,まさに解体中.なんとか間に合った.
下から10段ほどが残っている.その部分を掃除中だったので,残すのですかと現場監督(?)の方に伺うが,返事は曖昧だった.
ホテル敷地内に祀られている「御深地蔵大菩薩」横のレンガ壁は,今日もそのままだったので,この部分と下10段ほどは部分的に残されるのかもしれない.それだとうれしい.
やはり,彷徨うのは面白い(12200歩).
昨日は、恩師坂野先生の祥月命日。
13年前の今日、東京出張からの帰りの新幹線車中に、京大の北村先生から訃報の電話があった。 そんな事を思い出した新幹線車中。
浜松駅手前で突然強い雨が降り始めた。車窓の景色はほとんど見えない。合掌 (7000歩)
13年前の今日、東京出張からの帰りの新幹線車中に、京大の北村先生から訃報の電話があった。 そんな事を思い出した新幹線車中。
浜松駅手前で突然強い雨が降り始めた。車窓の景色はほとんど見えない。合掌 (7000歩)
昨日は,父が書き残した記録と父が亡くなったときに取り寄せた戸籍謄本をもとに,我が家の家系図をつくることで過ごした.この頃はまだ法令が改正される前で,戸籍謄本には親兄弟やその配偶者など全ての情報が記載されていたので,多くを知ることができた.
・私が直接知っているご先祖様は,祖父母とその兄弟姉妹の何人かまで.
・曾祖父母のことは祖父から話を聞き写真で顔を知っているのみ.曾祖父が生まれたのは嘉永6年(1853年)でペリーが浦賀に来航した年.
・高祖父は文政8年(1825年)の生まれで,異国船打払令が出された年.父も話を聞いただけで,直接はあったことはなかった.
こうしてみると,幕末も意外と近い感じがする.
・高祖父の一代前の方については,いまのところ勘兵衛という名前がわかっているだけ.この方まで,ご先祖様は代々勘兵衛を名乗っていたらしい.我が家は分家の分家なので,元々の本家にはもっと情報があるだろう.しかし,ちょっと縁遠くなってしまっている.もう一つは,菩提寺の過去帳を辿るか.
我が家には,曾祖母の実家の位牌も受け継がれている.位牌をお守りする方がおられなくなり,私の祖父が受け継いだらしい.その初代は,宝暦5年(1755年)に亡くなっている.ちょうど木曽三川の宝暦治水が行われていた年.将軍職は,徳川吉宗から家重に移り,尾張徳川では宗治の晩年.
興味はないかとも思ったが,娘や息子に送ったら,うれしい返事.少しずつご先祖様の情報を伝えてゆこうとおもう.父が書き残したように.
父が書き残したもののデジタル化と整理を始めた.
そして父と私の中国は,「大別山」でリンクしている偶然を思い返すことになった.
父は,国民学校訓導の職にあった昭和16年4月10日に,第三師団歩兵第六十八連隊へ入隊し,中国・湖北省—湖南省地域を主に転戦.
そして,昭和19年10月15日 湖南省江華縣江華において,右大腿部軟部貫通銃創(腓骨神経損傷)の重傷を負い野戦病院に入院、肺炎を併発.その後,南京,上海の病院でやっと本格的な治療を受けて,昭和21年2月5日鹿児島上陸帰国し療養,翌年4月から教職に復帰している.
その際の行軍ルートをまとめた略図が残されている.
その際の行軍ルートをまとめた略図が残されている.
そこに,大別山がえがかれ,別の用紙には昭和19年5月にその周辺での戦闘に参加していることが記されている(5月10日孝感,5月17ー19日漢口・武昌など).年をとってから,これだけの情報を,どこからひっ張り出してきたのか.記憶の中からなのだろうか.そうだったら,私には真似ができない.
地球科学の分野で,大別山地域と言えば,蘇魯—大別超高圧変成岩が分布する地域として重要かつ有名である.私も主に蘇魯地域の超高圧変成岩を研究をしている(た?).父が苦労して行軍していたところは,まさにその超高圧変成岩が分布する地域.
超高圧変成岩の研究を本格的に始めた1990年代初め,一緒に酒を飲みながら,少し大別山の話をしたことがある.もっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむ.
父が残した戦争に関する原稿の中には,「非公開」と書かれているものもある.非公開としながらも子や孫に残したかったこと.それは何なのだろう.
地球科学の分野で,大別山地域と言えば,蘇魯—大別超高圧変成岩が分布する地域として重要かつ有名である.私も主に蘇魯地域の超高圧変成岩を研究をしている(た?).父が苦労して行軍していたところは,まさにその超高圧変成岩が分布する地域.
超高圧変成岩の研究を本格的に始めた1990年代初め,一緒に酒を飲みながら,少し大別山の話をしたことがある.もっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむ.
父が残した戦争に関する原稿の中には,「非公開」と書かれているものもある.非公開としながらも子や孫に残したかったこと.それは何なのだろう.
これまでは,あえて開封することをしなかったが,もうそろそろ読んで次に渡す準備をし始めてもよい頃だと思う.
父が他界して19年目のお盆.合掌
父が他界して19年目のお盆.合掌