私的備忘録でもあります
今日の夕焼け綺麗よ指令

あっというまに暮れてゆき,いつもとはちょっと違う西の空.

晩夏の日もつるべ落とし
高校時代,立待の月が好きといった人がいた.

写したかったが,残念ながら顔を見せてくれなかった.

十六夜の月と居待月.





やっぱり彷徨うのは面白い.

街中に用事があったので,その後「らうめん侍」で甘エビ香味とんこつを食べ,地下鉄駅4つほどを歩いて自販機で台湾餃子 知多屋鍋貼を購入して,帰宅する予定だった.

しかし,栄地下街で方向を誤り(Geologistの端くれとして恥ずかしい),予定していなかったルートを辿ることに.しかし,これが吉と出た.

予期せずして,「NHK放送記念碑」の横を通ることに.

そして,ふと最近の新聞記事を思い出した.
名古屋城内堀西(戌亥隅櫓近く)にあったホテルナゴヤキャッスルの建て替えに伴い,築100年超の赤れんが塀(1913年頃のものらしい)が,今月中に撤去されることを.

訪れてみると,まさに解体中.なんとか間に合った.
下から10段ほどが残っている.その部分を掃除中だったので,残すのですかと現場監督(?)の方に伺うが,返事は曖昧だった.

ホテル敷地内に祀られている「御深地蔵大菩薩」横のレンガ壁は,今日もそのままだったので,この部分と下10段ほどは部分的に残されるのかもしれない.それだとうれしい.

やはり,彷徨うのは面白い(12200歩).
名古屋の最高気温は31.7℃
とはいえ,やはり処暑.夕方吹く風は,心地よい.

江戸詰の帰宅そして2日間の蟄居の後,井堀の棚田の定点撮影を兼ねて,久しぶりに猪高緑地散歩.

もうすでにツクツクボウシの鳴く時期.
今年は,ヒグラシの声を聞くことはなかった(9000歩)
江戸詰中,東京駅で少し時間があったので(正確に言うと,少し時間を作って),在来線ゼロキロポスト散策.

昨日は、恩師坂野先生の祥月命日。
13年前の今日、東京出張からの帰りの新幹線車中に、京大の北村先生から訃報の電話があった。  そんな事を思い出した新幹線車中。
浜松駅手前で突然強い雨が降り始めた。車窓の景色はほとんど見えない。合掌 (7000歩)
・令和の「点と線」 
昭和33年,松本清張は13番線ホームから15番線ホームを見通した.
13:11:00 3・4番線ホーム(京浜東北線,山手線)から,10番線ホーム(東海道本線)とその向こうの新幹線ホームを見通すことができた.


・構内中央通路,そこは何度も歩いているが,今回初めて気がついた.浜口雄幸首相遭難の現場.そういえば,原敬首相遭難現場もあるはずとネット検索.丸の内南口の現場は,説明プレートがないとなかなか気がつかない(6700歩).
高校の同窓の方が,ラーメン店をこの7月に開店されたという情報を,同窓会FBで知って訪れた.同窓生といってもおそらく私の息子よりも若い.

大学卒業後,フレンチからラーメン店主へ.

炭火焼濃厚中華そば 奥倫道 
茸(マッシュルーム)定食をいただく.

見た目は濃厚だけれど.マッシュルームのエキスが入って,予想外にあっさり.見かけどおりの普通のスープだったら無理だけれど,これは飲み干した.

ごちそうさまでした(8600歩).
今年は,聖徳太子1400年遠忌.

東京国立博物館の特別展に滑り込みで,早足に見学.

おそらく私が,最後の入館者.時間はともかく,ゆったりと見学できた(17400歩).

昨日は,父が書き残した記録と父が亡くなったときに取り寄せた戸籍謄本をもとに,我が家の家系図をつくることで過ごした.この頃はまだ法令が改正される前で,戸籍謄本には親兄弟やその配偶者など全ての情報が記載されていたので,多くを知ることができた.

・私が直接知っているご先祖様は,祖父母とその兄弟姉妹の何人かまで.
・曾祖父母のことは祖父から話を聞き写真で顔を知っているのみ.曾祖父が生まれたのは嘉永6年(1853年)でペリーが浦賀に来航した年.
・高祖父は文政8年(1825年)の生まれで,異国船打払令が出された年.父も話を聞いただけで,直接はあったことはなかった.
こうしてみると,幕末も意外と近い感じがする.

・高祖父の一代前の方については,いまのところ勘兵衛という名前がわかっているだけ.この方まで,ご先祖様は代々勘兵衛を名乗っていたらしい.我が家は分家の分家なので,元々の本家にはもっと情報があるだろう.しかし,ちょっと縁遠くなってしまっている.もう一つは,菩提寺の過去帳を辿るか.

我が家には,曾祖母の実家の位牌も受け継がれている.位牌をお守りする方がおられなくなり,私の祖父が受け継いだらしい.その初代は,宝暦5年(1755年)に亡くなっている.ちょうど木曽三川の宝暦治水が行われていた年.将軍職は,徳川吉宗から家重に移り,尾張徳川では宗治の晩年.
興味はないかとも思ったが,娘や息子に送ったら,うれしい返事.少しずつご先祖様の情報を伝えてゆこうとおもう.父が書き残したように.
父が書き残したもののデジタル化と整理を始めた.
そして父と私の中国は,「大別山」でリンクしている偶然を思い返すことになった.

父は,国民学校訓導の職にあった昭和16年4月10日に,第三師団歩兵第六十八連隊へ入隊し,中国・湖北省—湖南省地域を主に転戦.
そして,昭和19年10月15日 湖南省江華縣江華において,右大腿部軟部貫通銃創(腓骨神経損傷)の重傷を負い野戦病院に入院、肺炎を併発.その後,南京,上海の病院でやっと本格的な治療を受けて,昭和21年2月5日鹿児島上陸帰国し療養,翌年4月から教職に復帰している.

その際の行軍ルートをまとめた略図が残されている.
そこに,大別山がえがかれ,別の用紙には昭和19年5月にその周辺での戦闘に参加していることが記されている(5月10日孝感,5月17ー19日漢口・武昌など).年をとってから,これだけの情報を,どこからひっ張り出してきたのか.記憶の中からなのだろうか.そうだったら,私には真似ができない.

地球科学の分野で,大別山地域と言えば,蘇魯—大別超高圧変成岩が分布する地域として重要かつ有名である.私も主に蘇魯地域の超高圧変成岩を研究をしている(た?).父が苦労して行軍していたところは,まさにその超高圧変成岩が分布する地域.

超高圧変成岩の研究を本格的に始めた1990年代初め,一緒に酒を飲みながら,少し大別山の話をしたことがある.もっと詳しく話を聞いておけばよかったと悔やむ.

父が残した戦争に関する原稿の中には,「非公開」と書かれているものもある.非公開としながらも子や孫に残したかったこと.それは何なのだろう.
これまでは,あえて開封することをしなかったが,もうそろそろ読んで次に渡す準備をし始めてもよい頃だと思う.

父が他界して19年目のお盆.合掌
工作
孫が、かにパンなるものを持ってきた.
ひとつもらって、ふくろがきを参考に,カニからトンボ、そしてセミをつくった.

社会
カンパンや源氏パイもつくっている三立製菓が浜松の会社だと知った。




お寺さんの棚経が今日だったので、ちょっと早い迎え火。

今年は、子供たちや孫たちも集まってくれました。

こちらにお迎えするのは8年目。
迷わずに来ていただけたと思います。

どうか、おくつろぎください。
夕食は魯肉飯(滷肉飯).
台湾のおふくろの味.

昨日見ていたテレビ番組で紹介されていて,食べたくなった.
お店に食べに行くよりも,自分でつくってみよう.というわけで,五香粉を探して6km程散歩して,いくつかのスーパーをたずねたが見つからず,残念.

本来はバラ肉を使うのだけれど,脂身が少ないのと安かったので,肩肉でつくってみた.添えてあるのは,ウズラの玉子と青梗菜.

少しサッパリしたものもほしいと,蛸の酢の物とほうれん草のおひたし柚子胡椒添え(10200歩)
家族の誕生日は、夏(6, 7)、秋(10)そして冬(12, 1)に別れている。
今日は、夏の部 誕生会。

写真の中に、孫2人の年齢が隠れています。







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