私的備忘録でもあります
今回の長く続いた揺れの中で,29年前に経験した Loma Prieta地震(1989/10/17 M6.9)のことを思い出していた.
先程測ってみたら,当時住んでいたCalifornia Palo Altoは,震央から直線距離で約50 kmの近さでした.
地下1階の研究室にいて外へ逃げようと思っても,パソコンのモニターが落ちたり,書類キャビネットの引き出しが飛び出したりで,ほとんど動けなかった.子ども達と近くのMitchell Parkに出かけていた配偶者は,細道がうねったと言っていた.
地下1階の研究室にいて外へ逃げようと思っても,パソコンのモニターが落ちたり,書類キャビネットの引き出しが飛び出したりで,ほとんど動けなかった.子ども達と近くのMitchell Parkに出かけていた配偶者は,細道がうねったと言っていた.
それでも,街は不思議なくらい落ち着いていて,アパートの隣にあったお店に食料を求めて行くと,今晩はろうそくが必要だから持って行きなと,無料で配ってくれた.
San Francisco Bay Areaは大変だったけれど.
今回の札幌も,停電断水で,食料もじゅうぶんではなく,コンビニには長い列ができていたが,同様に落ち着いており,いろんな意味で満更でもないなと思った.
もうひとつ気がついたこと.
San Francisco Bay Areaは大変だったけれど.
今回の札幌も,停電断水で,食料もじゅうぶんではなく,コンビニには長い列ができていたが,同様に落ち着いており,いろんな意味で満更でもないなと思った.
もうひとつ気がついたこと.
自然災害の場合,現場が最も情報不足になる.
放送されているはずのニュースを見ることができず全体の様子がつかめない.そして,スマホを頼り充電のために彷徨うことに.
今回最も後悔したのは,予備のバッテリーを持っていなかったこと.
帰ったら,配偶者からモバイルバッテリーを渡された.どうやら次女が2人分2台を買ってきてくれたらしい.
帰ったら,配偶者からモバイルバッテリーを渡された.どうやら次女が2人分2台を買ってきてくれたらしい.
これが必要になるような状態を経験したくはないが,いつも持ち歩くことにします.130gとちょっと重いけれど.
帰宅は早くても来週初めかと,当初は覚悟していました.
ホテルも部屋はそのままでよければ使って下さいとのことでした.
予定通り帰宅できたことは嬉しいのですが,逃げ出したようで,北海道を自宅としている方々にはなんだか申し訳ない気持ちです.
すみません.
地震が起きた当日 09/06とライフラインがある程度回復した09/07の2回に分けて写真で振り返ってみます.
地震が起きた当日 09/06とライフラインがある程度回復した09/07の2回に分けて写真で振り返ってみます.
まずは09/06
- 学会プログラムの大部分が中止だろうことは明らかでしたが,それを確認するため北大会場へ.
- 帰り道,ふと電光掲示を見ると,03:08で止まったままでした.20.6℃はその時の気温でしょうか.
- 札幌市中央区.夜の暗さ.
順に説明します.
- 北4西3の交差点.手信号での交通整理.
- 市役所に設置された無料充電会場.30分/人.私は,並んでから3回目の入れ替えで充電できました.
- 11:18 札幌駅地下街.
- 電気が復旧して,久々にガタンゴトンという音をたてて列車が通り過ぎて行った.ホテルの部屋から.
- 夜,開いているお店を探してもらって一杯.ただし,鮮魚や野菜のメニュー無し.当たり前だよね.本当にありがたかった.ほとんど唯一の野菜キュウリの浅漬けが美味しかった.そういえば,札幌に着いた09/04の夜以降で,生野菜もしくはそれに近いものは,ホテルの朝食のキャベツの千切りとこのキュウリのみだった.身体が生野菜を欲している.
海底トンネルの入り口.うまく撮せました.向こうに見えるのは津軽海峡.5年前に訪れた竜飛海底駅,目をこらしていても見ることができず残念.
普段は飲もうと思わないものを買ってしまうのも旅.美味しかった。(7900)