私的備忘録でもあります
3月1日始めた,名古屋二十一大師巡り
第十六番天林山笠覆寺→第十七番増益山大喜寺→第十八番龍王山海上寺→第十九番瑞穂山金龍寺→第二十番高野山普照庵龍福寺→第二十一番八事山遍照院興正寺と参拝して,無事に結願.地下鉄八事駅まで.
天林山笠覆寺さんから増益山大喜寺さんに至る道筋の大部分は,東海道.以前に辿っていました(22600歩).
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第三十番善楽寺さんと第三十一番竹林寺さんに参拝.
天林山笠覆寺さんから増益山大喜寺さんに至る道筋の大部分は,東海道.以前に辿っていました(22600歩).
仮想「四国八十八箇所巡礼」は,第三十番善楽寺さんと第三十一番竹林寺さんに参拝.
以前から来たかったお店.
散歩がてら訪れたら,まさかの基本予約
小路から少し入り,地の利は良くないが,これだけ繁盛している理由がなんとなくわかった.
結局,量が多く,食べきれずにいると,オバチャンが持って帰る?
結局,量が多く,食べきれずにいると,オバチャンが持って帰る?
そしてチャーハン半分持ち帰り.これから,ホテルまで歩いて,多少お腹を空かせて,再度楽しむことに.
このあたりは,散歩道としても面白い.
さて,今日は早く寝ようと思っていたら,緊急地震警報が鳴った直後に,かなり激しい横揺れ.東京都内でも一部震度5強.
緊急地震警報の発令は,思った以上に迅速であることにビックリ.
さて,今日は早く寝ようと思っていたら,緊急地震警報が鳴った直後に,かなり激しい横揺れ.東京都内でも一部震度5強.
緊急地震警報の発令は,思った以上に迅速であることにビックリ.
ホテルのエレベータが緊急停止したけれど,すぐに復旧.
カリフォルニア・ロマプリータ地震(1989年10月),北海道胆振東部地震(2018年9月)と,私はなぜか出かけた先で強い揺れにあう.まあ,ロマプリータ地震の際は,当時の自宅とも言えるけど.
高校1年の時の美濃中部地震もかなりゆれた記憶があったが,調べたら岐阜市で震度3だった.記憶は容易に改変される.(9500歩)
カリフォルニア・ロマプリータ地震(1989年10月),北海道胆振東部地震(2018年9月)と,私はなぜか出かけた先で強い揺れにあう.まあ,ロマプリータ地震の際は,当時の自宅とも言えるけど.
高校1年の時の美濃中部地震もかなりゆれた記憶があったが,調べたら岐阜市で震度3だった.記憶は容易に改変される.(9500歩)
久しぶりに遠出の散歩がしたくて,豊橋・牛川の渡しへ.
豊橋市のHPによると,裏付ける資料は現存しないものの,鎌倉街道の宿が豊川宿であったことから推測して,平安時代から存在した可能性があるそうです.当時なら古代東海道のことか?
豊川の川幅は80 m程度だけれど,川の中央あたりで停船して,霞堤や吉田城の話を伺っていたら,GPSの記録では26分が過ぎていた.
楽しい船旅でした.ありがとうございました.
これで,お紅の渡し(長良川),西中野の渡し(木曽川)とあわせて,日帰り散歩で訪れることができそうな所はcomplete(20700歩).
仮想「四国八十八箇所巡礼」の第二十七番 神峯寺さんに参拝.
楽しい船旅でした.ありがとうございました.
これで,お紅の渡し(長良川),西中野の渡し(木曽川)とあわせて,日帰り散歩で訪れることができそうな所はcomplete(20700歩).
仮想「四国八十八箇所巡礼」の第二十七番 神峯寺さんに参拝.
やっぱり彷徨うのは面白い.
しかし,栄地下街で方向を誤り(Geologistの端くれとして恥ずかしい),予定していなかったルートを辿ることに.しかし,これが吉と出た.
そして,ふと最近の新聞記事を思い出した.
名古屋城内堀西(戌亥隅櫓近く)にあったホテルナゴヤキャッスルの建て替えに伴い,築100年超の赤れんが塀(1913年頃のものらしい)が,今月中に撤去されることを.
訪れてみると,まさに解体中.なんとか間に合った.
下から10段ほどが残っている.その部分を掃除中だったので,残すのですかと現場監督(?)の方に伺うが,返事は曖昧だった.
ホテル敷地内に祀られている「御深地蔵大菩薩」横のレンガ壁は,今日もそのままだったので,この部分と下10段ほどは部分的に残されるのかもしれない.それだとうれしい.
やはり,彷徨うのは面白い(12200歩).
洪水や土砂災害の記憶を残していると言われている地名に蛇がつくものがある.
古い地形図を見ていて,名古屋市天白区に蛇崩(じゃほう)という地名があったことに気付き,その名残の蛇崩第一および第二公園を訪れてみた.
「天白区の歴史」によると,このあたり「蛇が多くおって,土砂を取るために崖を崩すと,蛇が群がって落ちてくる」と言われていたとのこと.
かつての天白区蛇崩,現在は植田山の一部となっているが,1986年国土地理院発行の地形図にまでは残っていた.さらに古い地形図を見ると,このあたり,北西側に東山(名古屋市)〜西山(猪高村)が,南東側に植田村焼山があり,植田川を挟む低地がもっとも狭くなっている.
現在は,住宅地となって地形図からは読み取れないが,この植田川にむかって低くなる地形は、現地を歩くと実感できる.
ところで,同様の謂われを残す蛇崩(じゃくずれ)という地名が,かつて東京都目黒区にもあったらしい(15100歩).
古い地形図を見ていて,名古屋市天白区に蛇崩(じゃほう)という地名があったことに気付き,その名残の蛇崩第一および第二公園を訪れてみた.
「天白区の歴史」によると,このあたり「蛇が多くおって,土砂を取るために崖を崩すと,蛇が群がって落ちてくる」と言われていたとのこと.
かつての天白区蛇崩,現在は植田山の一部となっているが,1986年国土地理院発行の地形図にまでは残っていた.さらに古い地形図を見ると,このあたり,北西側に東山(名古屋市)〜西山(猪高村)が,南東側に植田村焼山があり,植田川を挟む低地がもっとも狭くなっている.
ところで,同様の謂われを残す蛇崩(じゃくずれ)という地名が,かつて東京都目黒区にもあったらしい(15100歩).